ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2021.07.08

マクラーレンM8A

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F1もル・マンもインディ500も、WRCも、

昔からずっと続いているモータースポーツ・イベントであるが、

中には一時的に非常に盛り上がったが、

今は存在しないものもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CAN-AMシリーズと聞いても、今の若い人は分からないかと思うが、

1960年代絶大な人気を誇ったモーターレースであった。

正式にはカナディアン‐アメリカン・チャレンジカップ、といい

日本でも「カンナム」の通称で通っていました。

この間作った「シャパラル2E」が戦ったレースイベントです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2シーター、オープンカーのレースで、1966年から1974年までが第一期、

第二期は1977年から1986年まで開催されたようですが、

もっとも人気のあった1967年から1971年あたりが、

ワタシの小学生時代レーシングカー大好きだった時代と同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時代、カンナムを席巻していたのが、マクラーレン。

F1コンストラクタ―のマクラーレンですが、

もともとはブルース・マクラーレンという

ニュージーランド人ドライバーが始めたレーシングチームでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、今回のタミヤ1/18マクラーレンM8A。

作ったのは去年です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年に再版されましたが、もともとは1970年発売のこのキット。

発売時は1000円。

当時小学5年生だったワタシは、1/32や1/24の

100円から500円くらいまでのプラモデルを作っていたので、

この1/18チャレンジャーシリーズは敷居が高く、

手を出せませんでした。

当時はみなモーター内蔵で走らせて楽しむプラモデルでしたので、

電池を入れる場所やスイッチ類もモールドされていますが、

これらのギミックは再版ではすべてオミットされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の自分にとっては、とても完成できないような複雑なキットだったのですが、

今、この歳になってみると、こんなスカスカだったのか、という感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マクラーレンのチームカラーはパパイヤオレンジ。

ワタシにとって「マクラーレン」といえば、ずっと、こちらでした。

その後、1988年からのマクラーレン・ホンダの時代になって、

やっと赤白マルボロカラーのイメージになるのですが・・・。

ということで、オレンジを塗ってみますが・・・・・

うーん、なんか頭にあるイメージと違うなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、イエローを増量して再調整。

うーん、こんなもんかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要するにパパイヤオレンジは、オレンジではなく、むしろ黄色であった。

黄色といっても総武線の黄色ではなく、銀座線の黄色ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして、完成。

素組みというのもあるが、なんだかやたらあっさり完成してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チーム・オーナーのブルース・マクラーレンが、自らハンドルを握っていました。

ニュージーランド出身の彼にちなんでチームのシンボルマークは「キウイ」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともとはモーターで走るキットなので、無人車が走ってはおかしいというわけで

ドライバーの人形が付属しています。

つまり、このヒトがブルース・マクラーレンさんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「呼んだー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首は真鍮線を入れているのでクルクル回ります。

わき見運転は、イケマセン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時期、オープン2シーターのカンナムスタイルは日本でもブームで、

1968年の第5回日本グランプリではニッサンR381とトヨタ7という

ワークスのオープン2シーターマシンがエントリーされた。

優勝したニッサンR381は、

当初は屋根のあるスポーツプロトタイプでプレスリリースされたが、

本番ではオープン2シーター仕様になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このブルース・マクラーレン氏は1970年テスト中の事故で帰らぬ人となる。

わき見運転が原因ではないはずだが、

この時代、レーシング・ドライバーの事故死は非常に多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本でも同じようなオープン2シーターである

トヨタ7のテストをしていた福沢幸男、河合稔の2名が相次いで事故死。

1969年に亡くなった福沢幸男氏の恋人は小川知子さん、

1970年に亡くなった河合稔氏の奥様は半年前に結婚したばかりの

「オー!モーレツ」の丸善石油のCMで有名だった小川ローザさんだった。

 

 

 

 

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