フェラーリ641/2
昨年末から作っていたとお話した「フェラーリ641/2」。
2019年中の完成を目指していたのですが、
年末忙しくなかなか進まず。
完成後全く見えなくなっちゃうので、
エンジンなどもまったく「素組み」なんですが、
なかなか手が付けられませんでした。
1/12は、デカいので作業台いっぱいになってしまう・・・。
正月休みの集中工事で半月遅れの1月半ばに完成しました。
このモデル、10年ぶりのタミヤ1/12ビッグスケールシリーズとして、
1991年発売。
当時はギリギリ、タバコデカールがキットについていた時代でした。
これは1990年のマシンの1年遅れのモデル化ですが、
前年の1989年、マクラーレン・ホンダのチームメイト同士だった、
アラン・プロストとアイルトン・セナの日本グランプリでのシケインの接触事故により、
アラン・プロストがチャンピオンを獲得。
アラン・プロストのマクラーレンからフェラーリへの移籍により、
チャンピオンナンバーのゼッケン1はこのフェラーリにつけられた。
このフェラーリ641/2は、前年F1を戦った、
天才ゴードン・マーレーが設計した画期的マシン、フェラーリ640の正常進化形であり、
フェラーリのF1の歴史の中でも1,2を争う傑作マシンである。
高いサイドポンツーンと、インダクションポッドは、
1989年からターボ禁止になったこのフェラーリのV12エンジンのためのもの。
1990年当時はまだホンダはV10だったが、
1991年のV12搭載のマクラーレン・ホンダMP4/6には、
多分にこのマシンのデザインの影響が垣間見える。
第5戦から採用されたフロント翼端板の
ボーテックス・ジェネレーターという筒状の空力デバイスは、
このあと各マシンがこぞってコピーすることになる。
この年、フェラーリは16戦中、
アラン・プロスト5勝、ナイジェル・マンセル1勝と、計6勝を挙げ、
同じく6勝を挙げたアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーの
マクラーレン・ホンダと熾烈なチャンピオン争いを行う。
しかし、チャンピオンシップはまたまた日本グランプリで、残念な展開で決まってしまう。
フロントロウにならんだプロストのフェラーリと、セナのマクラーレンは、
スタート直後の第1コーナーに砂塵とともに突っ込み、ともにリタイア。
ここまでのポイント差からチャンピオンは今度はアイルトン・セナの手にわたる。
フェラーリ史上、最も美しいマシンといわれたこの641/2は、
ついにフェラーリにチャンピオンをもたらすことは無かった。
あの1990年の日本グランプリは、
アントニオ猪木とモハメド・アリの格闘技世界一決定戦に匹敵する残念な展開であったが、
唯一の救いは2強がコケたことによって、
ネルソン・ピケ、ロベルト・モレノのベネトン1,2についで、
エスポラルース・ランボルギーニの鈴木亜久里が
日本人初の3位表彰台に上ったことでしょう。
1990年このマシンで6勝を挙げたフェラーリであったが、
このあと、翌1991年のフェラーリ642から、フェラーリは急速に戦闘力を失い、
次の優勝は1995年のジャン・アレジの駆る412T2まで
5年の時を待たねばならなかった。
このチャンピオンを取れなかった悲劇のフェラーリ・ナンバーワンマシンは
ニューヨーク近代美術館(MoMA)に常設展示されているそうです。


コメント/トラックバック トラックバック用URL: