ニッサンR91CP 1992 DAYTONA WINNER
プラモデルネタ。
カーモデルを作りました。
「ニッサンR91CP’1992 デイトナ・ウィナー」
日産がデイトナ24時間レースを制したのは1992年のこと。
世界3大24時間レースであるデイトナ24に
日本製マシンが日本のワークスチームで、
しかも日本人ドライバーで総合優勝したのは後にも先にもこの時だけ。
しかい、このキットが出たのは2019年。
ニッサンCカーの他のタイプは1990年代に
タミヤからもハセガワからも発売されていたが
何故かこの歴史的マシンだけが未発売であった。
それが、どんなわけか27年もたって発売されたので、
ビックリしましたが、即買いしました。
しかし、何故かこのキット「限定品」で、
今また絶版になっており定価3400円のキットが、
市場では1万~1万8000円程度の値がついています。
1992年といえば、日本のモータースポーツバブルが頂点に達したころ。
1991年にマツダ787Bが日本車としてルマン24時間を初制覇し、
F1の世界ではマクラーレンホンダが1988年から1991年まで
コンストラクタ―ズタイトルを4年連続で勝ち取った。
ラリーの世界ではトヨタが1990年にカルロス・サインツに
ドライバーズタイトルをもたらし、
1993年、1994年とコンストラクタ―ズタイトルをものにした。
ルマンやF1に比べるとデイトナ24時間はイマイチ知名度が低いが、
ワタシがモータースポーツに興味を持った196年代後半は、
ルマンかデイトナか、と耐久レースの目玉だったのだ。
なので、日産優勝のニュースには、
個人的には大変衝撃を受けたのだが、
一般的にはあまり話題にならなかったようです。
ルマンを征したチャージマツダ787Bも歴史的名車ですが、
このニッサンR91CPも国産Cカーの頂点を極めた車として
もっと注目されてもいいような気がします。
特徴的なミラーと、チラリ見えるコックピット。
ゼッケンはもちろんニッサンのエースナンバー「23(ニッサン)」。
しかも、日本のチームニスモで
長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男3人ともオール日本人ドライバー、。
予備登録したアメリカ人ドライバー、アンデルス・オロフソンは本番は走らなかった。
日本のバブル経済と、モータースポーツ人気が頂点に達した時代の
一つのモニュメントといえます。
今思うと、まるで遠い日の夢のようで
アポロ11号が月に行ったことに近いような感覚です。
少なくとも少年時代のワタシにとっては、
デイトナ24時間で日本車が優勝することの方が、
人類が月に行くより起こらなそうなことだったのです。


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