ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2017.02.12

デイトナ24時間で思い出したこと


 

 先日のデイトナの記事書いてて思い出したんですけど、

デイトナ24といえば、思い出されるレースが2つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つは1967年、フェラーリの1,2,3フィニッシュ。

のちに「デイトナ・フィニッシュ」の語源となったこのゴールである。

 330-p4-daytona-parata-1967-

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時、ワタシは小学1年生の3学期、

レーシングカーブームもあってこの頃よりレースカーに興味を持ちはじめたところだったが、

このニュースは後追いで知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルマは史上最も美しいスポーツカーともいわれるフェラーリ330P4。

このモデルはもう20年近く前にワタシが作った1/24。

引っ張り出してホコリを払ってみた。

ただし、コレは同年のルマン24時間で2位になったマシンである。

 P1310034

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この頃、フォード対フェラーリの対決は最高に盛り上がっており、

1966年のルマンでフェラーリの連続優勝を抑えたのがフォードGTマークⅡ。

そのリベンジがこの1967年のP4のデイトナ・フィニッシュなのだが、

同年のルマンではまたフォードに後塵を拝し、フェラーリは2位、3位に甘んじるのであった。

この辺はリアルタイムで知っている、

といってもテレビもインターネットもないから、月遅れの雑誌情報なのであるが。

 P1310033

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供の頃、金魚のじょうろに似てると思っていたこのクルマ。

雑誌に書いてあった「12気筒」が、何のことだか全くわからなかった。

 P1310035

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、もう一つのレースは1991年、

日本人ドライバーによる、日本車の初優勝である。

マシンはニッサンR91CP。

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 これは、本当にビックリした。

日産は1980年代後半から本格的にルマンに「勝ち」に行っており、

1990年はルマンの公式ポスターにそのマシンが描かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、結果は惨敗。

写真はタミヤのニッサンR89cで前年の1989年のルマン参戦。

一時4位まで上がったがリタイアしたマシン、昨年暮作りました。

トリコロールの塗りわけはメンドクサイわ、

キットが古いためデカールがかなり「死んで」いるわ、

で難儀しました。

 P1310102

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに「23号車」は「ニッサン」の語呂から日産のレースカーの「エースナンバー」で

デイトナで優勝したのも「23号車」。

 P1310095

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらはホンモノ、

デイトナ24でルマンのリベンジを果たしたニッサンR91CP。

 20140315_2109835

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、日産はルマンでは勝てず、その1992年のルマンでは

ナント大穴「マツダ787B」が大金星を挙げて優勝したのですが。

これは4,5年前に作ったかな。

 P1310032_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはりこうしてみるとルマン出場車に比し

デイトナではたとえ優勝してもモデル化されてない、

ってのは格差、温度差を感じますね。

 

 

 

1件のコメント

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  1. […] 1967年のデイトナについては以前書きました。 […]

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