デイトナ24時間で思い出したこと
先日のデイトナの記事書いてて思い出したんですけど、
デイトナ24といえば、思い出されるレースが2つ。
一つは1967年、フェラーリの1,2,3フィニッシュ。
のちに「デイトナ・フィニッシュ」の語源となったこのゴールである。
当時、ワタシは小学1年生の3学期、
レーシングカーブームもあってこの頃よりレースカーに興味を持ちはじめたところだったが、
このニュースは後追いで知った。
クルマは史上最も美しいスポーツカーともいわれるフェラーリ330P4。
このモデルはもう20年近く前にワタシが作った1/24。
引っ張り出してホコリを払ってみた。
ただし、コレは同年のルマン24時間で2位になったマシンである。
この頃、フォード対フェラーリの対決は最高に盛り上がっており、
1966年のルマンでフェラーリの連続優勝を抑えたのがフォードGTマークⅡ。
そのリベンジがこの1967年のP4のデイトナ・フィニッシュなのだが、
同年のルマンではまたフォードに後塵を拝し、フェラーリは2位、3位に甘んじるのであった。
この辺はリアルタイムで知っている、
といってもテレビもインターネットもないから、月遅れの雑誌情報なのであるが。
子供の頃、金魚のじょうろに似てると思っていたこのクルマ。
雑誌に書いてあった「12気筒」が、何のことだか全くわからなかった。
そして、もう一つのレースは1991年、
日本人ドライバーによる、日本車の初優勝である。
マシンはニッサンR91CP。
これは、本当にビックリした。
日産は1980年代後半から本格的にルマンに「勝ち」に行っており、
1990年はルマンの公式ポスターにそのマシンが描かれた。
だが、結果は惨敗。
写真はタミヤのニッサンR89cで前年の1989年のルマン参戦。
一時4位まで上がったがリタイアしたマシン、昨年暮作りました。
トリコロールの塗りわけはメンドクサイわ、
キットが古いためデカールがかなり「死んで」いるわ、
で難儀しました。
ちなみに「23号車」は「ニッサン」の語呂から日産のレースカーの「エースナンバー」で
デイトナで優勝したのも「23号車」。
こちらはホンモノ、
デイトナ24でルマンのリベンジを果たしたニッサンR91CP。
結局、日産はルマンでは勝てず、その1992年のルマンでは
ナント大穴「マツダ787B」が大金星を挙げて優勝したのですが。
これは4,5年前に作ったかな。
やはりこうしてみるとルマン出場車に比し
デイトナではたとえ優勝してもモデル化されてない、
ってのは格差、温度差を感じますね。


[…] 1967年のデイトナについては以前書きました。 […]