ディープ・パープル@BUDO-KAN
土曜日はディープ・パープル日本公演に行ってきました。
ディープ・パープルといえば、中高校生の頃はハマりまくっていた。
しかし、その後パンクの洗礼を受けてからは、
「踏み絵」のごとく拒否したバンドでもある。
ただ、月日を経て、そんな青臭いこだわりもなくなり
中学・高校時代のノスタルジックな思いもあって、
ちょっと聴いてみっか、という感じで足を運んだ。
実は来日のニュースを聴いても、どうしよっかなー、と悩んでいたのだが、
土曜日の午後5時というめちゃくちゃ行きやすい時間にコンサートがあり、
ヤフオクで「定価」でチケットが買えたので行くことにした。
何より「武道館」というのがいい。
ディープ・パープル1972年の来日公演を記録した
「ライブ・イン・ジャパン」が
「メイド・イン・ジャパン」のタイトルで海外でも発売され
一躍「BUDO-KAN」の名前を世界的にしたのである。
古(いにしえ)のハードロックなんで
初老のしかも男性ばかりだろうと思ったが
けっこう若いカップルなどもいて、ちょっと意外。
ディープ・パープルでずっとスタンディングはキツイと、
あえてアリーナを避け1階席を選んだが、かなり横っちょでした。
でも、ドームと違ってめっちゃ近いです。
今回の日本公演は名古屋、大阪とまわり東京が最終。
ネットでセットリストを検索し、予習しておいた。
さて、肝心のステージだが・・・・・・、
いやあ、イアン・ギラン・・・・・。
そこらへんの、駐車場係のオジサンかと思った。
やっぱ、リードボーカルはバンドの顔だからなあ。
なんとなく「慰安ギラン」ちゅうか・・・・。
ロジャー・グローバーはそれなりに。
イアン・ぺイスも歳とったが
ロールを多用するドラムスタイルは健在で、
お約束の「ミュール」ではドラムソロも披露。
レッド・ツェッペリンの「モビー・ディック」といい、
かつてはハードロックバンドは
必ず「ドラムソロのための曲」があったもんだ。
スティーブ・モーズとドン・エイリーは新しいメンバーで良く知らないが
新しいといってもドン・エイリーは2002年から
スティーブ・モーズに至っては1994年からもう20年もパープルやってるわけね。
最近の曲はなじみがないが
「イントゥ・ザ・ファイア」「レイジー」「スペース・トラッキン」など
2期パープルの曲は青春前期のなつかしさ満載です。
「ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン」はバンドコンテストで
高校時代、足利市民会館大ホールで演奏した思い出の曲。
最後はド定番の「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。
さんざんあちこちで聴く曲ではあるが、
もともとはこのバンドの曲なんだよなあ、と思うと感慨深い。
アンコールの「ハッシュ」(なぜかブッカーTの「グリーン・オニオン」からのメドレー)
最後のこれまた超有名の「ブラック・ナイト」まで2時間弱。
セットリスト予習で知ってはいたがやはり「ハイウェイ・スター」は演奏せず。
帰り道のお客さんの会話の中にも
なぜ「ハイウェイ・スター」やらないのか疑問の声が上がっていた。
「バーン」は3期パープル、デビッド・カバーデイル時代なので
イアン・ギランが歌わないのは当然としても、
2期に限らずすべてのディープ・パープルを通じての代表曲である
「ハイウェイ・スター」をなぜやらない?
(「ハッシュ」は第1期ロッド・エバンス時代だけどイアン・ギランは
加入直後はバンドのそれまでの最大のヒット曲だったので当然歌っていたはず。)
ローリングストーンズだって
「サティスファクション」やらないコンサートはないし、
ポール・マッカートニーにしろ
「レット・イット・ビー」演奏しなければ引っ込みつかないでしょう。
リッチー・ブラックモアがらみの「大人の事情」があるのか?
まあ、それはともかくストーンズのような興奮には程遠いが、
懐かしく楽しかったサタデーナイトのディープ・パープル@ブドーカンでした。
(外タレの人はどっちかっというと「ブードカン」と発音するようです。)


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