ひと夏の野球少年 第一話
高校野球も終わりました。
まったく野球に興味のないワタシですが、
実は一度だけ、小学校6年生の夏は野球をやりました。
昭和30年~40年代、ワタシの少年時代は
野球は国民的スポーツでした。
ワタシの通う小学校も、当時は児童数が多く、
各町内ごとに野球チームを作って大会を行う
「町内野球」が行われていました。
たいがい町内に住む野球好きのおじさんが
監督やコーチになって子供を休日に指導します。
大会は8月。
当時はワタシが通う西小学校地区は
通4丁目~7丁目、今福町、西宮町、栄町1丁目、2丁目、
緑町1丁目北、南、緑町2丁目、
と、計11チームが揃い、なかなか盛り上がっていました。
男の子は早い子は3年生くらいから
自分の町内の野球チームに入ります。
6年生を中心に5年生が加わったメンバーが
トップチームを形成します。
参加は任意。
やりたい子供がやる、ということでしたが、
その年、ワタシの住む通4丁目チームでは
大問題が起きていました。
それは1年前から予想されていた事態だったのですが、
1971年度のチームに6年生が一人もいない、というもの。
町内に6年生がいないわけではない。
ワタシを含めて7,8人いたはずだが、
例えばワタシはサッカーばっかり、
ヤナブーは学年で一番水泳が上手かったし、
電気屋のハセタは鉄棒で大車輪が出来たりと
皆、たまたま野球に興味がなかったのだ。
おそらく5月の連休明けの頃のある日曜日だったと思う。
通4丁目在住の小学6年生男子に育成会から、
町内の公民館に午前11時に集合するように連絡があった。
集まったワレワレは、育成会のおじさんたちの目的に気づいていた。
「これ、町内野球だろ。」
「お前、野球やる?」
「いやあ、野球なんて、やだよ。」
「日曜日つぶれちゃうしなあ。」
ワレワレ小6男子は、町内野球に参加する意思はさらさらなかった。
さて、育成会のおじさんが数人やってきて、
ワレワレに向かって話し始めた。
予想通り、町内野球に参加してほしい、という話であった。
通4丁目チームは歴代最多優勝の名門チームであるということ、
もし君たちが参加しなければ
5年生、4年生のチームで戦わなければならないという泣き落とし、
そして少年野球の魅力、大会の意味、
参加はあくまで任意であるが、
皆さんの活躍を期待している、という激励を、
オジサンたちが入れ替わり立ち代わり熱く呼びかけた。
この時点で、ワレワレの意思は揺らいでいたが、
まだ、この夏を野球に捧げる、という気分には至っていなかった。
しかし、その後決定的な出来事が・・・
ひととおり、育成会のオジサンたちが話をしたあと
では、ちょっと移動しましょう、と。
ワレワレ6年生男子は織姫公民館を出て
歩いて50メートルほどの幸軒(さいわいけん)食堂へ。
みんなお腹もすいたことだろうから
ここでご飯食べて、
あとは家に帰って町内野球参加についてよく考えてくれ。
ということで、全員がそこで「かつ丼」をごちそうになった。
これが、感動的にウマかった。
そもそも外食なんかあまりしなかった時代、
たまにデパートの大食堂で
スパゲッティ・ナポリタンなぞを食うことはあっても、
大衆食堂のかつ丼を食べる機会は、それまでなかった。
ほかのみんなも同じだったと思う。
町内野球をやれば、またかつ丼が食べられるかも。
家に帰る前にワレワレの心は決まっていた。
よし、野球、やろう。
(【注】この映画は1984年の作品なので時代的には相前後します。)
続く。


度々ブログを読ませていただいています
耳鼻科医の小倉先生に質問なのですが、
小2の子供の持久力をあげるためにスイミングを考えています。
ですが、息子は花粉症もハウスダストなどのアレルギーも強くあり、スイミングにより悪化することもあるとネットの記事で読み心配です。
現在も風邪を引くとアレルギーが強く出て完治までものすごく時間がかかります。
先生はアレルギーのある子のスイミングについてどうおもわれますか?