ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2019.10.14

2019年F1日本グランプリを家で見る

 けっきょく、DAZNで見ることになった2019年F1日本グランプリ。

そこにいたはずなのに、と思いながら見るクヤシイ中継。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当日午前に行われた予選(これも、いければ見ることができた)の結果は

1位がベッテル、2位がルクレールとフェラーリがフロントロウを占め、

続いて3,4位がメルセデスのボッタス、ハミルトン。

レッドブル・ホンダは3列目5位フェルスタッペン、6位アルボンという結果であった。

これが、今のマシンの早さの序列といえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、スタートではメルセデスのボッタスが素晴らしいスタート、

フェラーリ2台をかわし、トップに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その直後、これまたいいスタートで3位に割り込んだ

レッドブルのフェルスタッペンが、

第2コーナーでフェラーリのルクレールに押し出されてしまう。

ちょうど、ワタシが予約した席のすぐ前あたり。

その場にいたら、周りの観客とともに

「あーーー(゚Д゚;)」

と叫んでいたであろう。

いきなり、やっちまったー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このあと、フェルスタッペンは数週走ったがリタイア。

フェラーリのルクレールはノーズを交換して6位完走するが、

レース後に15秒ペナルティの裁定で7位降格となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、ホンダのエースの早々のリタイアで、

レースの興味はガックリ落ちた。

なんか、1990年鈴鹿のスタート直後の

セナとプロストの第1コーナーをチラッと思い出したりして・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースはその後単調になり、ボッタスが盤石の走りで、

アゼルバイジャンGP以来の優勝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2位フェラーリ、ベッテル、

メルセデスのハミルトンは3位に入り、

メルセデスの1-3フィニッシュにより、

6年連続のコンストラクタ―ズタイトルがメルセデスのものになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レッドブル・ホンダ勢はエース、フェルスタッペンのリタイア、

アルボンは自己最高の4位だが、表彰台には届かず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トロロッソ・ホンダのガスリーの8位は健闘ではあるが、

ホンダ勢の表彰台はならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、現地観戦を逃した身としては、

つまらないレースで良かった。(^_^;)

ここで白熱のバトルの末、ホンダの優勝、

なんてことになったら悔やんでも悔やみきれないので、

まあ、来年につながるいい結果くらいで済んでホッとした、という感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終的に東名高速が再開通したのは午後4時過ぎであった。

高速道路はいったん閉鎖したら、天候が回復しても

なかなか解除されないものだ、ということがわかった。

人生に無駄な経験はない。

この経験を踏まえて(?)来年は、台風が来ても行けるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.10.13

鈴鹿行きは、ならず(T_T)

 朝は4時に起きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鈴鹿サーキットまで約5時間半、

朝4時半に出れば、予選から全部見れちゃう。

外に出ると、雨はやんで、綺麗な星空。

さあ、行くぞ、と思ったが・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、パソコンで確認すると、まだ高速道路はすべて通行止め。

なんて、こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明ければ開通するだろうと思ったが、

あたりが明るくなっても、表示は通行止めのまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと、川の様子見てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 渡良瀬川は増水しているが、緑地帯は浸水していないので

あまり問題は無いようだ。

渡良瀬橋は普通に通行できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中橋は通行止めだが、氾濫の兆候は無いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、待っても待っても、パソコンの道路標示は通行止めのまま。

仕方なく、レディアの散歩に出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家の周りも雨のあとはあるが、目立った被害は見られない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8時を過ぎても通行止めの解除は無く、

やむなく、鈴鹿行きは断念することになった。

ああ、7万円が・・・・・(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっきょく、東北自動車道の通行止めは10過ぎに解除になったが、

上信越自動車道、東名高速の一部は11時半の時点で、いまだ開通せず。

こんなに晴れていい天気なのに・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、この辺は何事もなかったが、

足利市でも東の方では川の氾濫があったようだ。

バンドメンバーからLINEで送られてきた写真。

あしかがフラワーパーク方面のようです。

まあ、災害にあわず、命が守られてよかったと考えるしかないかなあ・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.10.11

ストライク

1年前から楽しみにしていたこの週末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年、ひさびさに鈴鹿のF1の日本グランプリに行って楽しかったので、

今年も行こうと早くからチケットも確保しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、よりによって・・・・(@_@)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1年365日、時間帯といい場所といい、

なぜ、今、ここに来る、というような

まさに宝くじ当選的な確率でのストライク。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラグビーワールドカップは順延らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛行機も新幹線も止まってしまうらしく、

高速道路もおそらく閉鎖されそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車中泊目的で予約したサーキット脇の駐車場はすでに閉鎖が発表された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、どうしましょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレビでは台風が来ない今日のうちに対策を、

と盛んにいってますが、

さすがに金曜午後から、明日土曜日も休診にして鈴鹿入り、

というわけにもいかないからなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.07.25

ケンとメリーのスカイラインからの

 北海道旅行ではからずもケンとメリーのスカイラインのことを思い出しました。

このクルマには、思い出があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが子供のころ小倉家のクルマは日産ブルーバードであった。

初代の310型と呼ばれるモデル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父がワタシの1歳の誕生日を記念に買ったというから、

この1960年モデルですね。

なぜか、このカタログではフェンダーミラーが描かれていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実車の写真もありました。

我が家のクルマも色はこれに近かったが、もうちょっとベージュ色がかっていたかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このモデル、愛称は「柿の種」。

理由は、このテールランプの形状です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、もと軍医で質素倹約、質実剛健を旨としていた父は、

このクルマに12年乗りました。

桐生の遊園地も、多摩動物園も、熱海のおじいちゃんの家にも、このクルマでいきました。

赤城山に登ると、しばしば途中でオーバーヒートしちゃうので、

停まってエンジンを冷やさなければなりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でこそ、同じクルマに12年乗ることはザラですが、

なんせこのダットサンブルーバードは国産初のモノコックボディの量産車。

しまいには、ドライブに出れば好奇の目で見られ、

同級生にはオグラんちのクルマ、動くのかよとまで言われる始末。

実際にエンジンは不調になり、しばしばクランクで起動、

コラムシフトのギアもなかなか入らなくなり、いきなりエンスト、ということも起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、ついに父も買い替えを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日産のクルマなので、次も日産のクルマから選ぶことになった。

そこで、ディーラーさんに見に行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、見たのが新型スカイラインである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー、カッコイイ。

日本グランプリでの日産車の活躍を目にしていていたワタシは、

ゼッタイ、これにしよう、と思ったものだ。

(注;当時の日本グランプリはF1レースではなく、

日産、トヨタなどのディーラーとプライベータ―が争うスポーツカーレースであった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このスカイラインが1972年に発売されたスカイラインとしては4代目、

ケンメリと呼ばれる、ケンとメリーのスカイラインであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時ワタシは中学1年生。

ちょっと色気づいてきて、こんなロマンチックな恋人同士のコマーシャルに

何となく、あこがれたりするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディーラーさんでもらった、このステッカーはしばらく大事にとってあった。

スカイラインが、わが家に来ることを願いつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、実際は、またくダメだった。

新型ブルーバードへの乗り換えは最初の候補。

我が家の初代ブルーバードは1200ccだったが、

その間にブルーバードは2回のフルモデルチェンジをしており、

高度経済成長の波に乗って1400~1800ccまでボアアップされていた。

中学校の担任の先生がのっていた510型系は人気モデルであったが、

父はそんな高級車はいらん、とこれを却下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな父がさらにグレードが上である

1600~2000ccクラスのスカイラインを買おうなどというはずがない。

弟の同級生の家が、この時期スカイラインを購入し、うらやましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっきょく、わが家にやってきたのは

1973年1月に新発売となったサニー1200。

2ドアセダンで、リアウインドの処理が、ちょっとスカイラインに似てるところが、

ワタシ的にはちょっと、イイかな、と。(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色は、ちょうどこのグリーンであった。

アマガエル的な・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、この12年の国産車の進歩はすさまじく

ワタシ的にはいろいろ満足しました。

なんたって、クルマにラジオや時計がついてるなんて、スゴイ。

いっぽう、インパネなどは鉄製だった旧ブルーバードに比べて

プラスチック樹脂製部品が多用され、ちょっとちゃっちいな、とも思いました。

近代化されたとはいえ、まだ、エアコン、カークーラーの類は当然無かったので、

夏のドライブは大変でしたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父はこのクルマに約4年乗りましたが、

1977年、急性心筋梗塞で他界。

母には運転免許が無く、長男のワタシはまだ高校2年生でした。

よって、このクルマは、知り合いのつてを頼って売却。

一度、わが家のクルマが他の場所に停まっているところを見たときは、

何となく、寂しかったなあ。

 

 

 

 

 

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2019.07.23

純アリスさんと、セレステと、

先日、元タレントの純アリスさんが亡くなられたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それほど知名度の高い方ではありませんが、

ワタシのブログには一回登場したことがあります

 

 

 

 

 

 

 

 

俳優さんと結婚されお子さんがいらっしゃるとは知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎友紀さんのドラマシリーズ「ママはライバル」で

有名になったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎友紀さんといえば当時の絶対的アイドル、

一人でAKB48の48人分以上の人気がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奥さまは18歳」「なんたって18歳」に続く第3弾は、

父親の新しい奥さんが、同級生という設定でしたね。

そのママであり、同級生役が純アリスさんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奥さまは18歳」と「なんたって18歳」はよく見ていたのですが、

この「ママはライバル」はあまり見ていた記憶が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調べてみると放送が1972年10月からなので、

当時ワタシは中学1年生。

それまでは、お茶の間でテレビ見ながら過ごしていたのが、

勉強と称して自室にこもって

ラジオばっかり聴くようになった年頃ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純アリスさんも岡崎友紀さんと同じ1953年生れ、

享年66歳だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別にファンだった、というわけではありませんが、

前も書いたようにランサー・セレステで印象が強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、はるか前に買って押し入れの隅に眠っていたプラモデルです。

1/24の童友社製ランサーセレステ1600。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この箱絵の写真のヒトが純アリスさんです。

今見ると、岡崎友紀ちゃんより、カワイイかも。

ランサーセレステの実車の広告写真をそのままパッケージにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつかは、作らなくては、なのだが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 買った時も、模型屋さんの棚に長くあったようで・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、この純アリスさん、何してるか、というと「ナマロク」です。

ポータブルデッキを使って鳥の声や、蒸気機関車の音などをステレオで録音し、

オーディオルームのステレオで再生して楽しむ「生録」は

当時、若者の間で大変なブームでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソニーのカセットデンスケ、欲しかったなー。

早すぎる、純アリスさんの死を悼みつつ・・・。

 

 

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2019.07.13

フェラーリ312T3

 これを買ったのはいつだっけ。

ヤフオクの履歴を見ると2016年12月でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪名高い(?)イタリア、プロター社の1/12モデル。

部品はムダに多く、精度が悪く、説明書は不親切で、しかもイタリア語。

でも、できの悪い子ほどかわいいというか・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、見ただけでウンザリするこの内容になかなか食指が伸びず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、ワタシの人生も長くはない。

ともかく、これをやっつけよう、というので製作を始めたのが、昨年9月。

しかし、組みづらさに、つい他のモデルに浮気して、

作業は遅々として進まず。

マイナスネジって、扱いづらい・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、細かいところははしょってはしょって・・・。

これがプロターでは312T2に続き2台目となるフェラーリのフラット12。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サスアーム類は非常に工作しにくい金属製だが、

なんと、一部破損していた。

プラスチックじゃないのでピンバイスで穴あけてつなぐ、ということはできないので

考えた末、この手で解決。

これ、なーんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これはギターの弦のボールエンド。

これを瞬間接着剤で固定。

アーニーボール製なので、

このイタリア製のマシンのごく一部がメイド・イン・U.S.A.になりました。

下側だし、黒く塗っちゃえばワカリマセン。

 

 こちらは、折れてない方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボディはこの当時のマシンはアルミモノコック。

お弁当箱みたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうせ、カウルに隠れちゃうので、テキトーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボディパネルをネジで止めるのは、強度の点から大歓迎だが、

このぽっかりあいた、ネジ穴・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デカールで隠せ、っちゅうのはイタリアンな発想だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、先日、完成。

購入から2年半、製作開始から9カ月。

かなり早い方です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイヤはこの年以降、グッドイヤーからミシュランにかわりました。

このマシンからニキ・ラウダはフェラーリを去り、

エースドライバーは、箱絵の11番、カルロス・ロイテマンですが、

ここは、ほとんどのF1ファンが、ジル・ヴィルヌーヴ仕様で作るはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1977年終盤にエンツォ:フェラーリに見初められて

ニキ・ラウダの代役としてフェラーリ入りしたジル・ヴィルヌーヴは、

翌1978年、はじめてのF1フルシーズンを、

このフェラーリ312T3で戦ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ナンバーワンドライバーの、カルロス・ロイテマンを圧倒する

アグレッシブな走りで注目を集め、

シーズン最終戦の母国カナダGPで初優勝を飾る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その後1982年シーズンまでフェラーリで活躍するが、

1982年のベルギーGP予選で、フェラーリ126C2でクラッシュ、帰らぬ人となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 基本設計は312T、312T2と同じであるが、

平べったくなってより「亀の子」感が強くなった印象。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このあとの312T4は、チャンピオンマシンになるのですが、

(ただし、チャンピオンはヴィルヌーヴではなくジョディ・シェクター。

ヴィルヌーヴは4ポイント差でシーズン2位になったが、

これは彼がチーム・オーダーを守った結果ともいわれる。)

このT4は亀がさらに首を引っ込めたかたちにみえるので、

個人的には312シリーズの中ではこのT3が一番カッコイイと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シートベルトが布製なので、非常に実感があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンプルなステアリングのフェラーリのエンブレムもカッコいい。

いまのF1のステアリングは、ごちゃごちゃして好きじゃないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、プロターのフェラーリは、一昨年落札したT5がまだ、手付かずなんですが・・・。

疲れたので、今度はタミヤにしようかなあ。

 

 

 

 

 

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2019.07.03

ホンダF1、13年ぶりの優勝

やりましたね、レッドブルホンダ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

F1オーストリアGPでマックス・フェルスタッペンが

ホンダエンジンとして13年ぶりの優勝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ来るんじゃないかと期待していましたが、

予想より早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、スゴイレースでした。

フェルスタッペンは予選3位ながら

メルセデス、ハミルトンのペナルティによりスタートはフロントロウ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしスタートのミスで、あっちゅう間に6番手まで後退。

フェルスタッペンもレース後のインタビューで、

スタートで終わったと思った、と言ってましたが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、そこから怒涛の追い上げ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファステストラップを連発し、まずは3位のフェラーリ、ベッテルをとらえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを抜き去り3位浮上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして2位を走るメルセデスのボッタスと数週にわたりバトル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数回に及ぶバトルの末、今季無敵のメルセデスをかわし2位に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして残り数周でトップを走るフェラーリ、ルクレールに迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストリア、レッドブルリンクは文字通りレッドブルの地元。

オランダ人ドライバー、マックス・フェルスタッペンを応援する

オレンジ色のサポーターにとっては

タマラナイ展開。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ルクレールとタイヤをヒットさせながら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ついに、トップへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中継中では、この件が審議委員会にかけられる、ということだったが、

けっきょくはレーシング・インシデントとしておとがめなし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チェッカー後、クルマをとめたパーク・フェルメには

ダンケ、ニキの文字とともに

ニキ・ラウダ氏が駆ったフェラーリ312Tと、マクラーレンMP4/2が待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても昨年来のメルセデスの連続優勝記録を10で止めたのが、

1988年にセナ、プロのマクラーレンMP4/4で達成した11連勝の記録を持つ

ホンダエンジンだった、というところがまたイイじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェルスタッペンが表彰台に登場した時に

胸のホンダマークをアピールしたことで、

日本にも(ワタシを含め)、彼のファンが倍増したことだろう。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これで、10月の鈴鹿がぐっと楽しみになりました。

 

 

 

 

 

 

 

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2019.06.04

ニキ・ラウダのために

ちょっと前になるが5月26日開催の歴史と伝統のモナコグランプリ。

今年はやはりこのセレモニーから。

グランプリウィークの月曜日に亡くなったニキラウダ氏。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この間も書いたが、彼がF1シーンに残した影響は

限りなく大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェラーリ時代の爆発的な速さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

低迷していた名門に2度のワールドタイトルをもたらした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、瀕死の事故から奇跡の生還を果たした後は、

クレバーな走り、確実にポイントを積み重ねて

チャンピオンを取るという新たなレーシングドライバーの

スタイルを披露してみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうと語弊があるかもしれないが

彼のような偉大なドライバーを見送る場としては

このモナコグランプリはもっとも相応しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということはこの死のタイミングは最適だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして偶然にも

モナコの国旗はニキラウダの母国オーストリア国旗と色が同じ。

オーストリアは上から赤白赤、モナコは赤白。

ちなみにポーランドは白赤でモナコの逆さま、

インドネシア国旗は赤白でモナコ国旗と同じです。

ご参考までに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて予選結果は1位はメルセデスのハミルトン。

2位に同じくボッタス。

メルセデスのワンツーは盤石か。

しかし3位にはレッドブルホンダが初めて滑り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホンダの2位以上も期待されたが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェルスタッペンは5秒ペナルティをくらい、

抜けないこのサーキットではけっこう致命的。

ボッタスはピットのタイミングでフェラーリの後塵を拝す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このトンネル、まさにモナコの醍醐味。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっきょく見た目は2位フィニッシュのフェルスタッペンは、5秒追加で4位、

表彰台を逃す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダメージのあるタイヤで首位を守ったハミルトンが優勝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2位にフェラーリのベッテルが入り、開幕以来のメルセデス1-2は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果、順位はこの通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇しくも、ニキラウダデザインの特製仕様のヘルメットをかぶった2人がワン、ツー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホンダは表彰台は逃したものの、レッドブルのフェルスタッペンが4位、ガスリーが5位、

トロロッソのクビアトが7位、アルボンが8位フィニッシュし、

1991年以来の4台そろってのトップ10入り。

近年は10までが「入賞」であるが、かつては6位までが入賞のポイント圏内だったので、

4台入賞は1987年イギリスGP以来の37年ぶり。

この時はウイリアムズ・ホンダのマンセル、ピケが1-2、

ロータス・ホンダのアイルトン・セナ、中島悟が3-4位であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても、モナコ王妃、美しい・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年の黒いドレスは、やはりニキ・ラウダ氏への追悼でしょう。

昨年のモナコグランプリでは、シャンパンラッパ飲みで物議をかもしましたが、

さすがに今年は封印してたようです。(^^;

 

 

 

 

 

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2019.05.23

ニキ・ラウダの時代

5月20日の月曜日に飛び込んできた訃報が、

ニキ・ラウダ氏の逝去のニュースだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1975年、1977年、1984年のF1ワールドチャンピオンであり、

言わずと知れたレース界の「巨人」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストリア、ウィーンの出身でデビューは1971年、マーチから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、BRMを経て、1974年にフェラーリに移籍。

そして1975年、名車「フェラーリ312T」を駆って、

初のワールドチャンピオンに輝くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「312T」は3リッターの12気筒、

Tはトランスバース・トランスミッション、すなわち横置きギヤボックスのTである。

ラウダはこのマシンでフェラーリに1964年以来、11年ぶりの

コンストラクタータイトルをもたらしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、タミヤの1/12。

作ったのはもう5,6年前だったかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ニキ・ラウダにとって運命の1976年。

そこまで、このフェラーリ312T2 でポイントリーダーとして快進撃を続けたラウダは、

8月1日のドイツグランプリ本戦でクラッシュ、クルマは大火災に包まれる。

ドライバー、コースマーシャルの捨て身の救助でラウダは九死に一生を得るが、

衝突の際ヘルメットが脱げてしまい、顔の大きなやけどを負い、

有毒ガスを吸い込んだ影響で肺に深刻なダメージを受けた。

全身の70%の血液を入れ替え、一時は生命も危ぶまれたが、

その後驚異的なペースで回復。

事故からわずか6週間後のイタリア・グランプリで奇跡の復活を成し遂げるのである。

そして、タイトルの行方は最終戦。

舞台はこの時はまだ、イレギュラーだった日本開催のF1世界選手権イン・ジャパン。

富士スピードウェイの決勝は大雨で、ラウダは危険すぎると判断し、

わずか2周で自らクルマを止め、リタイア。

チャンピオンは1ポイント差でマクラーレンのジェームズ・ハントにわたった。

この312T2は、

一昨年作った今は無きイタリア「プロター社」製の1/12モデルであるが、

作りにくさでは定評がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コチラは、ハセガワ製の1/20の312T2。

レインタイヤでその富士スピードウェイの仕様になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、翌1977年、ラウダはシーズン3勝などで72ポイントを上げ

またこの「フェラーリ312T2」で2度目の王座に返り咲いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、フェラーリを離れブラバムで2シーズンを戦いました。

これは1/20のブラバムBT46。

タミヤ製、限定クリアカウル版。

カウルはクリア塗料で塗ったので、透けて見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドライバーフィギュア付き。

ラウダ先生、運転してます。(^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストリアカラーのヘルメットにはニキ・ラウダの文字が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラバム時代にはアルファロメオエンジンの不調もあり勝利は無く

1979年、いったんは現役を引退。

しかし、1982年にマクラーレンから現役復帰し、

1984年にマクラーレンMP4/2で、最後のワールドチャンピオンを獲得。

このモデルはアオシマの1/20「マクラーレンMP4/2」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マルボロカラーはカッコええなあ。

タバコは、ダメよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌年、1985年にマクラーレンのチームメイトのアラン・プロストの

初のワールド・チャンピオン獲得を見届けて

ニキ・ラウダ氏はドライバーズ・シートを降りた。

写真はマクラーレンMP4/2C。アラン・プロストのチャンピオン・マシンである。

これもプロター1/12。

作りにくいがフェラーリのキットよりはまだマシだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現役引退後はラウダ航空など、航空会社の経営に携わる。

フェラーリのアドバイザーを経て、

先日までメルセデスF1チームの役員を務めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

70歳という年齢での死因は肺の病気といわれ、肺移植も受けていた。

あのドイツGPでの肺損傷が後年まで後遺障害を残したのであろうか。

偉大なドライバーの冥福を祈りつつ、

今週末は伝統のモナコGPが開催される。

 

 

 

 

 

 

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2018.11.28

グランプリ野郎

「グランプリ野郎」という漫画をご存知であろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の頃ワタシの愛読していた雑誌が「少年」。

これには、かの「鉄腕アトム」と「鉄人28号」がともに連載されていた

少年誌のチャンピオンみたいな存在であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その「鉄人28号」の作者横山光輝氏が1968年から同誌に連載開始したのが

「グランプリ野郎」。

当時、ブームになっていたモータースポーツを扱った少年漫画である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、ワタシのレーシングカー好きの原点はこの漫画にある。

ワタシにとって「レースマンガ」といえば「グランプリ野郎」。

「マッハGo Go Go」でも「サーキットの狼」でも「赤いペガサス」でも

まして「チキチキマシン猛レース」でもないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピットインとか、スピンとか、スリップストリームなんていう「レース用語」は

全てこの漫画で学んだ。

ドリフトとかシケインとかダウンフォースなんていう言葉は

まだなかった時代である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時は「葉巻型のフォーミュラカー」、まだウイングなし、という時代である。

でも、シートベルトはあったはずだが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、この主人公の若林真一が乗るレーシングカーのデザインを、

雑誌「少年」で、一般公募した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かなりの応募があった模様で、ワタシなども結果発表を心待ちにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その発表された最優秀作がこのマシンであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンガ自体がわりとリアル路線で来ただけに、

このSFチックな、マッハ号的なデザインは、

正直、どうなのかなあ、と子供心にも思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、実際にマンガに登場するのだが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他のマシンとあまりに違い過ぎて・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こりゃ、ちょっと、アレだなあ・・・。

そんな、「グランプリ野郎カー」であったのだが。

つづく

 

 

 

 

 

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