ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2018.11.02

海堂効果

 今年の我が家のマイ・ブームは

(いや、個人ではないのでアワ・ブーム?

そもそもマイ・ブームはすでに死語?)

何と言っても、海堂尊である。

 

 

 

 

 

 

 

 以前も書いたが、登場人物が別の話でもいろんな形で登場するので、

次々に読まなければならなくなり、

すっかり「海堂商法」にしてやられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妻の読むスピードが速く、次々にアマゾンから本が来るので、

ワタシも頑張って、読んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とくにいろんなシリーズに登場する「白鳥捜査官」のキャラが秀逸で、

頭のカタイお役人や、いけ好かない医者に対する、

彼の歯に衣着せない頭ごなしのモノ言いは、まことに痛快である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホント、融通の利かない役人とか、

アタマの悪い医者は、世の中にいっぱいいますからねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この間、受診したおばあちゃん、

「熱が出て、ノドが死ぬほど痛かったんで、

近くの内科にすっ飛んでいったんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はいはい、それでなんて言われた?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これは扁桃炎だね、といわれました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何か、検査しましたか?溶連菌とか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「インフルエンザの検査をして、出なかったので、この薬が出ました。」

と、出した紙には「クラリス4日分」と「解熱剤が1日3回」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思わず、言ってしまった。

「バッカじゃねえの。」(@_@)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いかん、いかん。

海堂氏の一連の作品を読んでる方はワカルと思うが、

これはきっと「海堂効果、白鳥現象」だ。

ヤクザ映画見てきた人が、みんな広島弁になっちゃうみたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世の中にはこの程度の医者がゴロゴロいるが、

思ったことを正直に口に出しては、イケナイ。(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2018.09.24

極北ラプソディ騒動。

土曜日に海堂尊氏のことで、予約投稿し、

いきなり友人のY氏から電話あり、

「図書館に極北ラプソディ、ありました。」

とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、すんません、入手できてまして・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、海堂氏の「バブル三部作」を呼んだのち、

ネットの情報では時代的には、次は「極北」シリーズだ、

というのがあって、まず「極北クレイマー」を入手して読了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、アマゾンで続く「極北ラプソディ」を注文しようといたら、

こんな状況。

文庫本が、軒並み1000円以上。(@_@)

しかも、+配送料。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新品は無く、みな、マーケットプレイスの「中古品」であるが、

それにしても、この値段は何だ、いったい何が起こっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽天ブックスで調べるが、新品の在庫なし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BOOKOFFでもないらしい。

BOOKOFFは日本中の在庫がオンラインで分かっちゃうみたいでスゴイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店頭在庫を探して市内の本屋さんも2,3軒回ったが、なし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも、新装版に転換中で一時的に絶版になっているらしいが、

詳しいことはワカラナイ。

「極北クレイマー」はいっくらでも売ってるのだが、

「極北ラプソディ」のみが無い、というのが解せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひょっとして、海堂氏のことだから、

内容について厚労省から横やりが入り、当局によって差し押さえれられたか、

などという疑念も頭をよぎったりして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、マーケットプレイスに安い出品があったので、

すかさず注文したら、商品の手配ができなくなりましたので

ご注文をキャンセルします、なんてこともあり、

疑念が深まったとともに、さらに読みたい気分も煽られたのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かといって、定価より高い中古本を買うのもシャクにさわる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんてことがあったのですが、

その後、何とかさがしあてて、無事購入。

定価が756円なので、この値段ならまあ、いいでしょう、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事、届きました。

キレイな本でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、一部の方には

大変お騒がせいたしました。m(__)m

図書館とは、気づきませんでしたが。

まだ、読んでませんが、今週学会があるので、旭川で読んできます。

ちょうど、北海道が舞台だし。

 

 

 

 

 


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2018.09.22

海藤尊氏の仕掛け

6月の耳鼻咽喉科臨床学会で、海藤尊氏の特別講演を聴き、

その直前にテレビドラマで「ブラックペアン」を見て以来、

我が家では「海藤尊ブーム」が続いている。

 

 

 

 

 

 

 

まず、「ブラックペアン」の原作「ブラックペアン1989」から、

3部作である「ブレイズメス1990」「スリジエセンター1991」を読破。

ワタシが読み終わると、妻が奪い取るようにして読んでいく。

これらは「バブル三部作」と呼ばれるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに続く「極北クレイマー」を読んで、

次の「極北ラプソディ」を買おうとしたら、ナゼかこれが絶版である。

インターネット上でも町の書店にもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なので、これをひとまず置いておいて、

デビュー作である「チームバチスタの栄光」にとりかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この本、「このミス大賞」になって、文庫本が出たとき

早々に購入していたのだが、ずっと放置していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを引っ張り出し、読むとともに、

テレビ版、映画版の「チームバチスタの栄光」も

ビデオで妻と全部見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当初から気づいてのが、海藤氏の一連の作品は、

各々に違う話なのであるが、同じ登場人物が繰り返し出てくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バブル三部作」を読んでいて、研修に来る医学生の田口先生が、

のちの「バチスタシリーズ」では医者になって主役になっている。

設定は「ブラックペアン」のほうが「バチスタ」より10年ほど後だが、

作品の発表は「バチスタ」のほうが先なわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、デビュー作の「チームバチスタの栄光」での

もう一人の主役である白鳥捜査官が部下と称して語る「姫宮」は

「チームバチスタの栄光」では登場しないが、

「極北クレイマー」では、重要な役で登場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この辺の人物の絡み具合は、読んでいて

「おおおー」とか「ええー」とか

驚嘆や納得や、何より「発見」の楽しみがあってタマラナイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、何に似てるかというと「スターウォーズ」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アナキン・スカイウォーカーが実はのちのダースベイダーだったり、

ケノービ老人が、若いころそのアナキンの師だったり、

ほかにもボバフェットやランドなど、

作品ごとに現在、過去をまたいで登場するキャラクターが多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターウォーズもいきなりエピソードⅣから始まって、

Ⅴ,Ⅵといったあと、前日譚であるⅠ,Ⅱ,Ⅲが作られたので、これも似てますね。

外伝があるのも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ海藤尊氏の作品は繋がっているのもあるが、

全体が一本の大河ドラマではないので、

ストーリーや設定にもある程度の自由度がある。

登場人物がシリーズ間でかかわりを持たないので、

知らない、気づかない、でも全く物語に支障はないが、

知ってるとそれなりに腑に落ちる「楽屋落ち」的テイストがあって、

この辺が、かえって発見や深読みのしがいがあって興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この「ヲタク心」をくすぐる海藤氏の仕掛けにまんまとハマり

多分、全部読むことになりそうな予感。

 

 

 

 

 

 

 

 


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2018.08.28

読書感想文

今年のカレンダーを見ると8月31日が金曜日、

ということは曜日の関係で新学期は9月3日からになり、

小中学生はだいぶ得した感があるでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

というより、この2日間に宿題を賭ける、

というケースも多いのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体、図画、工作と読書感想文が残ってたなあ、オレの場合。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書感想文については「課題図書」ってのがあり、

本自体は夏休みの初めに読んじゃうんだけど、

感想文は全然書いてなくて、また読み直し、なんて具合でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウェブサイトで「過去の課題図書」なんてのが出てきます。

最近は何でも分かってしまうのだ。

小学校低学年向け、中学年向け、高学年向けに

それぞれ2冊ずつ指定されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを見ると、結構読んだ本、覚えていますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚えているのは1967年度からで、このときは小学校2年生。

第13回コンクールの課題図書のうち

感想文を書いたのは「びりっかすの子ねこ」。

その他「アグラへのぼうけん旅行」「橋の下の子どもたち」は記憶にあります。

「びりっかすの子ねこ」は、感想文コンクールで賞をもらったので確かですが、

あとの2つは中学年向きなので、あとで読んだか、タイトルだけ覚えているかですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この一覧から翌1968年は「いたずらラッコのロッコ」

1969年は「太陽の子と氷の魔女」で書いたはずだが、

この2年はかすかにタイトル覚えているくらいで内容は全く記憶にないです。

他の本の記憶もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1970年、小学校5年生の夏は「ワシリィの息子」の感想文を書いて、

これは何かけっこういい賞をいただきました。

その年の課題図書のうち「まがった時計」「魔人の海」も覚えています。

「まがった時計」は、小学校中学年向きの課題図書なので

この時弟が小3ですから一緒に買って家の本があったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、入賞した年の本のタイトルばかりをよく覚えているのはなぜか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はた、と気づきました。

入賞すると自分の感想文が多分入賞作品集の本に載るので、

その本の他の感想文も読んだりするせいかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1971年度は高学年向けは「千本松原」「天正の少年使節」、

たしか「千本松原」のほうで書きましたが、賞はとれなかったような。

前年に賞をとったため、担任の先生が気合い入れていて、

プレッシャーがかかった記憶が・・・。

小学校時代、ワタシは毎年担任の先生が変わっていましたが、

小学校5年生と6年生の時だけは持ち上がりでした。

感想文コンクールは落選しましたが、

その年、その後に書いた(書かされた)生活作文コンクールで

県の特選になったので担任の先生は大変満足だったようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学校の課題図書は見ても全く覚えていませんが、

なんか感想文書いた記憶はあるんだけど、

課題図書ではなかったのでしょう。

ナマイキになってあまり先生の言うことも聞かなくなってたし・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この課題図書が始まったのは

1962年度の第8回読書感想文コンクールからだそうです。

本が売れるし、審査員も楽だし、今考えれば美味しいシステムだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの頃は、読書感想文、大っキライだったけど、

今はブログで本や、映画の感想文を書くのは結構楽しい。

多分、宿題ではないから?。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この週末、読書感想文残ってる子供たちはけっこういるでしょう。

みんな、ガンバレー。(^.^)/~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2018.08.24

不死身の特攻兵

ちょっと前に読んだ本で面白かったのがコレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日の朝日新聞に筆者の鴻上氏のインタビューが組まれていたので

これを取り上げてみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧日本軍の特攻、いわゆる体当たり攻撃は

太平洋戦争における負の歴史であるが、時に美化されて語られることもあります。

特攻兵はすべて「志願」であった、お国のために喜んで死んでいった、

と平然と語る元上官もいたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特攻した人たちは戦争の犠牲者というより、

体制の犠牲者といった方が良く、特攻を容認する、あるいは強要する

旧日本軍、ひいては日本国の「ムード」が悲劇を招いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、同じ日の朝日新聞の天声人語では

俳優の児玉清さんの疎開時代のエピソードが紹介されていました。

東京に空襲があったとの知らせに

自宅が焼けた子供の方が喜んで万歳をしたという。

これも「自己犠牲が国家の役に立つ」という「ムード」が

子どもたちに染みついていたためだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元来、日本人には集団のための自己犠牲を美徳とする概念がありますが、

これが、災害ボランティアなどとして良い方向に作用することもある反面、

本来の自分の意志や生き方を犠牲にして「忖度」しなければならない

負の方向に作用する状況も少なくなからずあるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鴻上氏も述べていたが日大アメフト部の一件は、

まさに支配されたムードの中での「志願の特攻」だったのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体育会やPTAや町内会、地方選挙や、サービス残業など、

この手の「集団への無言の帰属強要」は、現代社会の至る所にあります。

ワタシの最も嫌いなヤツです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜこの特攻兵は9回出撃し、生還できたのか。

読み進むと、引き込まれるとともに

日本人の持っているあやうさにも気づかされます。

大変面白いので、ご一読をお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、この本に出てくる「99双軽」こんな飛行機です。

だいぶムカシに作りました。

低速、旧式でおよそ特攻には向かない機体ですが

こんな機種も特攻に使われていたんですね。

 

 

 

 

 


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2018.08.04

少年朝日年鑑

 小学校5~6年の頃好きだった本があります。

 

 

 

 

 

 小説や漫画ではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 「少年朝日年鑑」という本です。

 

 

 

 

 

 

 

 本誌と付録の「社会化統計」の2分冊でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今はもう無いのかなあ。
 毎年発行され、その年のいろいろな出来事がジャンル別にまとめられていて
辞書みたいに「引ける」ようになってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「少年」というからには「大人の」やつがあってその少年版だったわけだ。
 特に好きだったのが分冊の「社会化統計」で、
山や川、海の様子などの地形から、気温、降水量などの気象状況、
工業、農業などの生産高や品目が、国内、世界とあらゆる品目に渡って網羅されていて、
見ているだけで楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 社会科の宿題にもバッチリだったんですが、
ヒマがあるとパラパラ眺めて、
「世界で2番目に高い山はK2っていうのか。」
「おー、ここではこんなもの作ってんだー。」
とか
「○○はこの地方が多いのかー。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発見と感動の連続でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんといっても、圧倒されたのは
「アメリカ」のすごさです。
 自動車、機械、飛行機何をとっても第1位。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本は高度経済成長が達成されつつありましたが、

その差は歴然でした。

唯一「造船業」だけが世界一だったことは覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、日米自動車摩擦が起きたり、

日本企業がバブルでばんばんアメリカに進出した時はマジかいな、と思ったもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネットで探したら、ありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1970年版はまさにワタシが小5の時、手垢がつくくらい読んだヤツ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネットの古本屋さんで5000円、

欲しいけど、ちょっと高いなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2018.07.14

「験勉してる?」~祝・少年ジャンプ50周年;ワタシと少年ジャンプ

少年ジャンプ創刊50周年だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

7月11日の朝日新聞の天声人語で知ったのですが、

そこで「筆者は『1.2のアッホ』のファンでした。」とのくだりでのけぞった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこかー。(≧◇≦)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こち亀とかアラレちゃんならまだしも「1.2のアッホ」で来るとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶん、歳、近いっすね。( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年ジャンプの創刊時はよく覚えています。

50年前ならワタシ9歳なので当然なのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシが物心ついたときから存在していたのは

少年マガジン、少年サンデー、少年キングの

いわゆる3大少年週刊誌であったが、

その中で少年キングが消滅しつつある中、

1960年代後半に相次いで参入したのが

少年チャンピオンと少年ジャンプであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシが少年ジャンプで最も強烈な印象を持つ作品は永井豪氏の

「ハレンチ学園」であったが、

それは当時ワタシが小学校高学年にさしかかっており

エッチなことの興味を持ち始める年頃、

ということ確実にシンクロしてるからなわけで・・・・(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう意味では同時期の「少年チャンピオン」の

やはり永井豪氏の描く「あばしり一家」と同じステージでして。

今週はどっちがオッパイが見えるか、パンチラあるか、みたいな・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、少年ジャンプといえば、朝日新聞の天声人語氏の

「1,2のアッホ」も好きでしたが、

「トイレット博士」好きだったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人気漫画でしたが内容とタイトルがアレだったので

アニメ化されなかったという・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「マタンキ」「メタクソ団」「MKバッジ」・・・ナツカシイ。

中学時代、同級生のキタバヤシ マサル君は

イニシャルが「MK」なのでイジられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後1976年から連載の「東大一直線」は、

これまた当時高校生だったワタシの大学受験と完全にリンクするのである。

「東大一直線」連載は1976年から1979年まで。

ということはワタシの高校2年生から一浪挟んで大学1年生まで

ということで、まさにピタリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時大学入試に新たに導入された「共通一次試験」や、

いままでになかったコンピューターで採点する「マークシート方式」は

いわゆる時事ネタで、マンガにも取り上げられたが、

またワタシ自身が、実際に直面していた問題でもあった。

マンガなんて読んでないで勉強しろよ、という意見もあるが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「パープリン」「パーペキ」「ずん進する」などは、よく日常使いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主人公の「東大通」をはじめ「現役勝」「点取満太郎」「多分田吾作」・・・。

そういや登場人物に「金小根強歯(カネコネ ツヨシ)」って奴いたなあ。

この間の東京医大の事件で思い出した。

東京医大、なんかリスト、過去の分まで出ちゃったそうで、ヤバいっすね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、大学入学後は「すすめ!パイレーツ」。

この作品は1977年連載開始である。

当初からあった「ウルトラマン」ネタが好きだったが

途中から作者江口寿史氏が

ロック、パンク、テクノ、ニューウェーブにハマったと見え、

1979年ころから、その手の楽屋落ちギャグが作品中に多発するようになった。

ディーボやクラフトワークなんかがフツーに出てくる展開は

当時、その手の音楽に夢中だったワタシにはド・ストライクであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その後のジャンプと言えば鳥山明氏の登場であるが、

「Dr.スランプ」の途中までで、ワタシは「少年ジャンプ」を離れてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「すすめ!!パイレーツ」が終わって、

その後の「ひのまる劇場」「ストップ!!ひばりくん!」という

江口寿史作品が、短期間で終わってしまったこともあるし、

研修医になって忙しくて、マンガどころではなくなってしまったため、ということも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、「ドラゴンボール」はうっすらですが

「キャプテン翼」「北斗の拳」「スラム・ダンク」「ONE PIECE]となると

ワタシは全く読んでないばかりかジャンプ連載であったことも知りませんでした。

だが、それぞれ社会的にも大きなインパクトを残した作品群が、

ジャンプにはあったのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、50周年、少年ジャンプは日本を代表する週刊漫画雑誌として

いろんな世代の人の人生にかかわってきたわけだが、

オレもけっこうかかわってますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、タイトルに返す、合言葉は「親指大ね!」です。

どれくらいのヒトが知ってるだろう、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなワタシの少年ジャンプの思い出でした。

と、いうことで

「これにて、パーペキ。」<(`^´)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2018.07.07

続・ブラックペアンの時代

そんなわけで、ブラックペアンには

バブル時代の地方大学病院外科系の描写があり、

ちょうどワタシが医者になったころのことで、

懐かしい気持ちにさせられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

小説でオペ室での場面。

 

 

 

 

 

 

 

 

手術に入る医者はまず「手洗い」をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オペ着(最近は「スクラブ」というようです)を着て

「清潔」になるために、「手洗い」をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足で踏んで「ブラシ」を出し、3回ゴシゴシ洗う。

ブラシは当時は靴磨きのブラシみたいなごわごわしたやつでした。

最近はこの硬いブラシによる手洗いは、

手指に傷がついてかえって感染巣になる恐れがあるとのことで

やらないという話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガウンのはしをもって看護婦さんに渡し、ガウンを着せてもらう。

手術の手袋は大学病院では自分ではめました。

その後勤務した病院では、看護師さんがぎゅーって広げてくれて、

そこにずぼっと手を突っ込んではめてもらうのですが、

これがなかなかカッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研修医の世良先生がこの手術室に入って、

いろいろ学んでいくところは、

若い研修医時代の自分と重なって読んでいてワクワクした場面でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

糸結びの練習のシーンも出てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絹糸をもらって、「外科結び」の練習をするのは変わらないのですが、

小説のように白衣のボタンホールではしなかったなあ。

引き出しの取っ手や、ブックスタンドのパイプ部分は結び目でイッパイでしたが、

田舎の病院の「あるある」はクルマのハンドルです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田舎では「クルマ社会」なので、自家用車で通勤する人が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若い外科医は信号待ちの時間を利用して

ハンドルに外科結びのタマタマを積み上げていきます。

医師駐車場を覗くとそんな車がいっぱいとまっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡海先生のように製薬会社のプロパーさんを「金づる」にする、

というところまではなかったですが、

前回書いたようにメーカーによる接待なんかは多かったですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっとも先輩の先生に言わせると、

「オイルショック前は、こんなモノじゃなかった。」

という話ですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡海先生が抗生剤の使用をめぐって

製薬会社に「たかる」くだりが出てきますが、

当時はたしかに抗生剤バブルの時代でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外科系の病棟では術後感染予防ということで、

点滴の抗生物質を大量に使用していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっとも多用されるβ―ラクタム系の抗生剤は、

ペニシリンから、セフェム系第1世代、第2世代、第3世代と

つぎつぎに新薬が開発、発売されていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世代が進むと、効く菌の種類(抗菌スペクトル)が拡大し、

それとともに薬の値段もどんどん上がります。

競争相手が多いので各メーカーとも売り込みに必死です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小説では術後抗生物質を「精錬製薬」の「セイレイン」から

「サンザシ製薬」の「サンザシン」に替える、というくだり。

たぶん、どっちもセフェム系第3世代あたりだな。( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この製薬会社の名前をもじった注射用抗生剤のネーミングは、

この頃たいへん流行ってまして、

「〇〇ノギ製薬」の「〇〇マリン」、「△△ジ製菓」の「△△セリン」

「××ダ製薬」の「××スリン」「◇◇ノウチ製薬」の「◇◇テタン」など、

みーんなセフェム系。

まさに社運を賭けた製品だったんでしょうね。

全問正解者は間違いなくバブル期の外科医です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところがこのセフェム系、世代が進むと抗菌スペクトルは広がるのだが、

それに反比例して術後感染の主体となる

グラム陽性菌群に対する抗菌力が減弱していたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことを知らずに、

新しいモノがいいモノだろうと使っていた我々医者がバカでしたが、

製薬メーカーの人はそんなこと一言も教えてくれませんでした。

メーカーでも学術のヒトは知っていても、

営業のヒトには詳しく教えていなかったのかもしれませんが・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、術後感染、菌交代、耐性菌、などという問題が噴出し、

周術期の抗生剤の使用法は大幅に見直されることになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でも、この耐性菌の問題は継続しており、

ワタシはこのブログで繰り返し抗生剤の適正使用を強調しているわけですが、

その裏には「抗生剤バブルとその崩壊」を

リアルタイムで目の当たりにしてきた医者としての体験があるからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、手洗いにしろ、メーカーの接待にしろ、抗生剤の使用にしろ、

今と昔ではだいぶ医療現場も変わってきました。

でも、今も昔も若い研修医が思うことは、

少しでも早く一人前の医者になりたい、

医者としての技量を上げたい、

そして「良い医者」になり、一人でも多くの人を病気から救いたい、

という点では同じでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミステリーとしての楽しみのほかに

そんな、若い医者だったころの気持ちも呼び覚ましてくれた

「小説 ブラックペアン1988」でした。

オレもこんな小説、書いてみたいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1件のコメント
2018.07.06

ブラックペアンの時代

先日講演を聴いた海堂尊氏ですが、

その時ちょっと書きました「ブラックペアン」原作につきまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、ワタシ、氏の著作を読んだことがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、本は持ってて「チームバチスタの栄光」買ったのはもう数年前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともと「宝島社」の「このミステリーはすごい大賞」は注目していて、

受賞作はけっこう読んでましたんで、この作品も面白そうだと思い即購入したのだが、

あまりに面白そうなのであとで読もう、と思ってるうちにどっかいっちゃった、

という経緯でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際に原作を読むと、

エンタテインメント性に富んだ、ある意味荒唐無稽なミステリーの要素を持ちながら

きちっと読者を納得させる設定、筋道になっており、

やっぱドラマはドラマ、小説は小説、という感じでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 講演で氏が述べていましたが、

ドラマの脚本は、登場人物のキャラ設定を除けば一切テレビ局におまかせ、

だったそうです。

ふーん、そういうものなのね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラマを見ていて予想はしていましたが、このオリジナルは、

過去の手術で術中出血を止めるために

やむなく「故意に」術野に残したペアンをめぐるストーリーが根幹で

それに、テレビ版の脚本でいろいろなエピソードが追加されていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作の物語の設定は「ブラックペアン1988」とあるように、

1988年、つまり昭和63年が舞台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なので、テレビドラマで出てくる「ダヴィンチ」を模した

「ダーウィン」「カエサル」のくだりは、当然、ドラマのオリジナル。

1988年当時にロボット手術機器はありませんからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラマでは心臓外科だったのですが、原作は消化器外科。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで、だいぶリアリティが増します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 専門ではありませんが、心臓の手術でペアンを残すのは何となく違和感が。

診察でなくても、検診、ドック、術前検査等で胸部レントゲン撮る機会は極めて多いので、

見つからないまま何年も経過するってのはムズカシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腹部に残したペアンは、通常胸部レントゲンしか撮らない

検診やドックで発見されることはないでしょう。

でも、飛行機の保安検査場は通れないかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手術支援機器「スナイプ」は出てきますが、

消化器外科なので、ドラマで心臓弁置換装置だった「スナイプ」は

小説では遊離空腸の縫合器になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海堂尊氏は1961年生まれ。

ワタシは1959年5月生まれ、1年浪人してまして、昭和60年に医者になっています。

どうも海堂氏は一浪、一留(!)らしいので、早生まれかどうかで変わってきますが、

計算すると、昭和63年ころに医師国家試験を受けたのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、昭和63年入局の研修医世良先生の視点は、

ほぼ、海堂先生ご本人の視点と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、昭和60年入局のワタシ、61年入局のワタシの妻とも極めて近いわけで、

病院、科は違えど、同じ地方国立大学、同じ外科系、ということで、

すごくナツカシイ「あるある」がいっぱいで、そこ大変楽しめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医師国家試験が4月初めにあり、

その後、約1カ月の間を置いて5月の連休明けから、大学病院の勤務が始まる、

というスケジュールもワレワレと同じで、

その約1週間後に国家試験の合格発表があり、

落ちたものはひっそり病院から去る(!)、というのも当時の群馬大と一緒です。

今は国家試験は2月にあるようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小説の中で北海道で大きな外科学会があり、

製薬メーカーの接待でエビやらカニやらたらふくごちそうになるというくだりは、

実は身に覚えがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和61年の5月に日本耳鼻咽喉科学会総会が、

北大の主幹で札幌で開催されました。

日耳鼻総会は耳鼻咽喉科の最大の学会ですが、

この年は開催地が観光都市札幌とあって注目度はひときわ高かったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入局2年目のワタシと、その年新入医局員のワタシの妻は

(当時はまだ、交際してません)

大勢の先輩教室員とともにその学会に参加しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、札幌で3泊したわけですが、

連日連夜、入れ代わり立ち代わりの各製薬メーカーの接待攻勢はすごかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1986年といえば、バブル真っただ中。

医者は、バブルの恩恵を受けないので、

大学病院研修医の給料は手取り10万に満たない薄給でした。

ところが、その一方、サラリーマンや企業はイケイケの時代。

なので札幌の夜は毎晩のようにエビだ、カニだ、シャケだの北の幸のてんこ盛り。

ビンボー研修医にはありがたすぎる、タダメシ、いただき放題でした。

一方製薬会社のMR(当時はプロパーさんといった)にしても、

ここぞとばかり会社の金でイイ思いをしたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今は、そういった接待が禁止されているので

そのようなことはまったくなくなり、どこの学会に行こうが、

メシはいっさい全部自腹ですが、かつてはそんな時代もあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古き良き時代・・・・・・( ̄ー ̄)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっと、海堂先生も新人のころ、そんなことがあったんでしょうね。( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、これから遅ればせながら海堂作品をすべて読んでみることにします。

 

 

 

 

 

 

 


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2017.07.04

昭和57年2月

 

この間、久坂部羊氏の本を読んで面白かったので、

またお医者さんの書いた本を読んでみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この本、だいぶ以前に買って、ワタシの「積ん読」コーナーにあったものだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イントロで、この作者が工学部の学生のころ、

医師である父がたまたま上京し、ひさびさに会食をする場面になる。

思春期以降対立していた親子がひさびさに、心が通い合うような雰囲気になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その晩、そのお父さんはホテル火災で亡くなってしまうのだ。

ホテルニュージャパンの火災事故だという。

その後、作者はサラリーマンになるが思うところあって医者になるのである。

この本は、その研修医時代を実話に基づいて書いた作者のデビュー作らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、そういえば、ワタシの母校、群馬大の脳外科の教授も

そのホテルニュージャパンの火事で死んじゃって、学内大騒ぎだったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思って、何となく作者の名前を見たら「川渕圭一」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっ。( ゚Д゚)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たしか、群馬大の亡くなった教授も川渕教授だったような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マサカと思って読み進むと、間違いない、この作者の川渕氏は

あの群馬大の川渕教授の息子さんであり、

ナントワタシと同い年であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れもしない1982年(昭和57年)2月。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、ワタシは大学3年生、

ということは医学部専門課程の1年次で、

群馬大生の間で「地獄の学1」と呼ばれる、キビシイ期末試験の真っ最中であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学1は「解剖学」「生化学」「生理学」を学び、

わが群馬大にあってはもっとも「留年(落第)」の危険性の高い年次である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中に起こった「ホテルニュージャパン火災事件」。

死者33人の大惨事で、その背景には

ホテルの安全管理に関する重大な落ち度が認められ

「人災」の側面が次第に明らされていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強しなきゃならないのに、つい、ワイドショー見ちゃうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、そのまさに翌日起きたのが、24人の犠牲者を出した「羽田沖日航機墜落事故」。

あの「機長の『逆噴射』」の一件である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機長が精神的問題を抱えていたことが発覚し、

こちらも「人災」の要素が次第に追求されて行く。

「心身症」「逆噴射」は流行語にまでなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おー、勉強に集中できない、なんとかしてくれー・・・・。

(テレビ見なきゃいいわけだが、なかなかそうもいかず・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえばそのちょっと前、

1月30日にはイギリスのパンクバンド「クラッシュ」の来日コンサートを

新宿厚生年金まで見に行ってしまい、

同級生から、学1の期末試験前にいい度胸してるぜ、と脅されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸い、ワタシは無傷で学1を突破したが、留年になった同級生も少なからずいました。

(クラッシュの件でオレにプレッシャーかけた奴は落ちた。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再試験になった同級生に頼まれて

家まで資料もって「家庭教師」に行ったりしたなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非常に印象深い「春」だったので、よっく覚えております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、本の感想はまた別の機会に。(^_^;)

 

 

 

 

 


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