2016.07.22
大橋巨泉氏が亡くなりました。
82歳だそうです。
ということはワタシより25歳年上ですね。
氏のことを初めて認識したのは「巨泉・前武のゲバゲバ90分」(1969~1971)
コレはめちゃめちゃ面白かった。
ワタシが小4のころ、ということはこのころ巨泉さんは35歳か。
ともかくそれま夢中になっていたドリフが、完全に時代遅れに見えた。
ちょっと、色っぽいようなシーンもあってお茶の間で気まずい瞬間もあったけど、
そこがまた思春期前期の子供にも魅力となった。
(お色気シーンに登場してたのは、ジュディー・オングさんやうつみみどりさんだったりした。)
そのあとは、なんといっても「11PM」。
コレは当然子供が見るべきではナイ番組であったが、また何とかしてみたい番組でもあった。
テレビの番組表を見て悶々としていたが、
たまたま親父が遅い時間に風呂に入り、お袋がお勝手仕事をしてることがあると、
チャンス、とばかりにこっそりチャンネルを回すのだが、
そういうときに限って「ゴルフ」「釣り」「競馬」または「ジャズ」の内容だったりした。
ワタシが、釣り、競馬はもちろんゴルフも一切やらず、
ジャズが好きではないのはひょっとして、この辺にルーツがあったりして・・・・。
その後、「クイズダービー」や「世界まるごとハウマッチ」はたまに見る程度であったが、
ユーモアとインテリジェンスにあふれた司会っぷりは
大橋巨泉氏はやはり多彩な人だなあ、という印象であった。
しかし、その後、セミリタイアと称して第一線を退かれる。
調べたら56歳の時でした。
(オレも57歳になっちまったからそろそろ考えないと。)
そのセミリタイア後は、いろいろ大病もされたようだが、週刊誌のコラムなどを読むと、
本当に頭のいい、スジのとおった「明確」なヒトだなあともわせる書きっぷりであった。
特に最近は現自民党安倍政権の「右傾化」にたいへん危機を感じていたようで、
巨泉さんはオレより25歳上なのでジャズマニアであるが、
もし、時代がもっと後なら必ずロックを聴いてたであろう。
くしくも永六輔さんと、数日の間で逝ってしまったのは、何か時代の流れを象徴しているようでもある。
最後に、個人的に最も印象に残っているこのCMをみて、ご冥福をお祈りします。
2016.07.12
もともと学生時代から試験勉強は直前まで始めないたちである。
ただ、あれとあれとこれをしようと、段取りをつけ
頭の中でスケジュールを立てて一気にやるタイプ。
だから、いろいろと「不測の事態」が起こった場合は、
時間に余裕がなく「破綻」する場合もあり。
学会準備はかつては「スライド」だったので
原稿を早めに作って、業者に渡し版下をもらいをそれを校正して
本番用のスライドを作ってもらう、というメンドクサイものであった。
途中他人の手が入るのため、早めの準備が必要で
かなり時間的に厳しかった。
パワーポイントができてから、そのストレスがなくなって
ギリギリまで自分のペースで作りこむことができるようになった。
コレはワタシに「合って」いる。
学生時代、試験当日の朝メシ食いながら、
果ては、試験会場で答案用紙が配られる直前まで
ノートを眺めながら最後の最後までセコく暗記をするようなものだ。
今回、依頼された特定健診・特定保健指導実践者育成研修会の
講師の件も同じ気持ちで時間配分をしていた。
依頼に配布資料がありましたら送付ください、
とあったが、まあ、どっちでもいいかな、と思っていたが先週メール。
配布資料は、というので、まだできてません、
もし今週中にできたらお送りします、と返信。
しかし、内心は、多分できないから、いいかな、と考えていた。
すると前日の今日になり電話。
いえ、まだ、できてないんで、、というと、
いつまでにできますか、との問い。
明日、そちらにつくまでには、とはさすがに言えず、
今日中にはできます、といってしまった。
すると、明日の朝送付していただければ午前中に印刷します。
といわれ、終業後、ガンバって、夜遅く、完成。
送り先のあて名を書くのに依頼状を見ると
「講義用資料につきましては、講義1週間前までにメール等でお送りください。」
と書いてある(汗)
そしてメールの送り先を入力しようと、
先週来たメールを開くと
「資料は明日(すなわち今日)15:00までにいただけると印刷も間に合いますので」
とあった。(汗 汗)
やべえ、全然読んでねえ。
なんとなく、明日行くのに
宿題の提出が遅れて先生に謝りに行く生徒の気分。
2016.07.09
さて、明日は参議院選挙投票日。
参議院だと栃木県は全県で1議席。
立候補者も3人なので、県の南のはじの、しかも過疎化の進む市街地では
1回も街宣車の騒音を聴かなかった。
静かで、大変よろしい。s
だが、18歳の高校生諸君は、初めて選挙権を得ての選挙なのに、さぞかし拍子抜けであろう。
そもそも候補者が自民党1人、野党推薦1人、新興宗教(?)1人というのも
ナメた話で、選びようがないじゃないか。
そういえば、医師会から回ってきた比例代表区の誰とかのポスター、チラシ、
当院ではいつものようにゴミ箱に直行でしたが、毎度ながら「組織戦」ってゼッタイおかしいとおもう。
特定の団体の利益になるように投票を強いるのは正義にもとる。
団体に属さない人が不利になる。
投票はあくまで個人の意思で国民全体の利益を考えるべきだ、と思ってます。
テレビでも、栃木県の候補者の時の放送はたまたま見なかった。
東京選挙区はいろんな人がいて楽しそうだ。
政党名で「支持政党なし」なんてのがあって、小学生かよ、と思ったが。
明日は実は「ドラキュラ・ロック・フェスタ」で朝8時までに会場の道の駅しもつけに行かねばならない。
不在者投票しそこなったが、帰ってからで間に合うかなあ。
2016.07.04
イキナリ暑い夏が来た。
とくに予定のなかった日曜日、あるモノが食いたくなって妻と出かける。
地下鉄を出ると、真夏の日差し。
さて、わざわざ銀座で何を食おうというのか。
ココです。
って、どれだ?黒豚しゃぶしゃぶは現地で食べたばかり。
今回は11階です。
ぴょんぴょん舎は盛岡に本店のある「冷麺」のお店。
ま、ついでにコレも。
いや、サイコー。
ホントは盛岡まで行くのが正しいのではあるが。
その後、上野へ。
科学博物館は何回も来てるし、この前も来たばかりだが、
最近は特別展ばかりなので、タマに常設展示も見ようと。
小学生の頃みて印象強かった「フーコー振り子」、ナツカシイ。
これも小学校のころちょうどNHKで「からくり義衛門」というドラマに夢中だったので
インパクト強かった「万年時計」。
以前は63型だったが、今は零戦21型が展示されていた。
ワタシ的には最もゼロ戦らしい21型が一番好きだ。
航空母艦のエレベーターのおさまるようにここから主翼の翼端が折れ曲がります。
カウルが外され空冷星形の「栄12型」エンジンを見ることができる。
中島製、スバルの祖先ですね。
空気抵抗を減らす「枕頭鋲」が美しい。
できれば、機体は暗緑色、日の丸白フチではなく、
大戦初期の明灰白色、日の丸フチなし、主翼前縁の味方識別黄色塗装無し、がヨカッタのだが。
ゼロ戦を目にしていきなり「オタク心」に火がついてしまい、
写真ばかり取ってると、妻があきれているので、次に進む。
映画「ナイト・ミュージアム」を思い出す、はく製の群れ。
休憩。
恐竜のコーナーはさすがに混んでる。
ティラノサウルスは、しゃがんでいた。
うーん、そういうことか。
でも、なんか、カッコ悪い。
なんか、昔のゴジラ的イメージが刷り込まれているので、
学門的にはコレが正しい、といわれても我々怪獣世代は、なんかなあ、と思ってしまう。
さて、哺乳動物コーナーは空いている。
これは「アルシノイテリウム」。
3000万年前ほどの哺乳動物でサイに似て見えるが、ゾウに近いらしい。
実はこの「アルシノイテリウム」、忘れもしない独身時代、
妻とここでデートしてみてビックリ、感動して2人して一生懸命名前暗記した生物なのだ。
久々の再会である。
ホント、科博は見てて飽きるということがない。
エダホザウルス、ディメトロドンは、ティラノサウルスと違って昔通りの姿で出ていますな。
こいつらは時代が古いので子供の頃みた恐竜図鑑の一番最初に出てくるが、正確には「恐竜」ではナイ。
足のつき方が「ワニ型」である。
歩き疲れた、また来よう。
昔はここが入り口だった。
ここはいると、まずアロサウルスがいたんだよねー。
そいえば、あのアロサウルス、どこ行ったんだろ。
骨格の組み方が旧学説だったので、組み替えてるんだろうか。
組み換え不可能でバックヤード行きなんだろうか。
そんなわけで、ダイスキな科博でした。
また、来よう。
しかし、今日は暑い、38℃かよ。
2016.07.02
お医者さんの巨大掲示板サイトで話題になっていた「週間現代」。
「医者に出されても飲み続けてはいけない薬」(゚Д゚;)
一応買ってみました。
しかもこの記事、ウケたみたいで気づけばシリーズ化しとる。
内容は、かなり「もって」ある。
医者たちが次々に証言って、マジか。
よく読むと、まるっきりウソではないが、決して真実ではない、というマスコミ独特の書き方である。
この薬で、こんな副作用が、とかかえって症状が悪化する、とか。
もちろん、薬はそういった一定のリスクを負っているわけだが、
医者は一般にそういったことを踏まえたうえで、メリットの十分得られる処方をしてるわけだ。
飛行機を使えば、どこそこまでわずか2時間で行けるが、
おどろくなかれ、過去実際にあったことだが、飛行機というものは墜落することがあり、
その際はほとんどの人が死んでしまう。
歩いていけば一ケ月もすれば、一切運賃もかからずに安全に目的地に着くというのに、
わざわざこんな危険な交通手段を使う意味はあるのか、
ということと、ほぼ同じ理屈である。
でも、なかなか一般の人にはわかりにくい。
この手の記事はあおればあおるだけ売れるのである。
大半は「高血圧」「糖尿病」「高脂血症」の薬で、耳鼻科で使ってるクスリはあまり載ってなかったが、
内科の先生は、これで困ってる人も多いだろうなあ。
シリーズ3弾は「受けてはいけない手術」。(T_T)
これによって、受ければ命が助かる手術を拒否して、
あやしげな「民間療法」や「新興宗教」に走る人だって出てくるんじゃなかろうか。
薬も勝手に中断して、高血糖や脳出血で救急外来に運び込まれた人なんか、すでに出てるかもしれない。
医者の場合はすぐ訴えられちゃうが、こういった記事は訴えられないんだろうか。
今週本屋さん行ったら、「週刊現代」は大反響第5弾がまた出ていたが、
ビックリしたのはライバル誌と目される「週刊ポスト」の特集。
「やってはいけない歯科治療」(@_@)
いやー、安易というか、臆面もなくというか・・・・・。
どちらも、ここんとこベッキーやらマスゾエやらで「週刊文春」にだいぶ持っていかれてたからなあ・・・
まあ、主治医に相談してみるのはイイですが、
ともかく、勝手にやめない方がいいと思いますよ、医者として。
「読んでは、いけない週刊誌」なんちて。(^_^;)
2016.07.01
今日から7月。
巷ではボーナス・シーズンということで沸き立っている。
子供のころ、家が開業医だった関係で「ボーナス」というものに縁がなく
マスコミやドラマ、マンガなどで描かれる、
「やったー、パパのボーナスが出たぞー。」的なシチュエーションが漠然とうらやましかった。
研修医のころは日雇いなのでボーナスはなかったが、
出張病院のボーナスを医局でプールして分配してた関係で
わずかな、ボーナスを手にすることができた。
その後、外病院の勤務になると本物のボーナスを手にすることができるようになり、
これが、あの子供のころにあこがれた「ボーナス」というものかと思い
それはそれはうれしかった。
今は、ボーナスの封筒の中には振り込みの明細書が入ってるだけだが、
ワタシがボーナスをもらうようになって2,3年目まではギリギリ現金が入っていた。
そういえば、会社でボーナスが出たお父さんが、そのまま飲みに行って
酔っぱらって懐に入れていた現金の入った封筒なくしちゃって大騒ぎ、
みたいなドラマとかいっぱいあったような気がする。
しかし、今は経営者、ボーナスを支払う側になってしまった。
かなりの額の臨時支出であるので、毎年この時期は逆にウレシクナイ季節になってしまった。
世間のうかれた様子が恨めしく思う。
考えてみると、たとえ経営者でも会社社長やなんかはボーナス出るわけで、
ボーナスが無いのは、農家や、漁師や、我々のよう零細小売業、作家や、芸術家など、ごく一部。
歌手、タレントはプロダクションに所属してれば、でるんだろう。
まあ、ともかくそれでも昨日、当院も職員に何とボーナスを支給することができました。
今年ウチにはいった新人2人は人生初のボーナスなんだなあ。
大事に使ってくださいね。
ボーナス出ないワタシは暑気払いに「マーボーナス」でも食べようかしら。
2016.06.30
医者としての本業のほかに、仕事柄、医療関係の講演、講義なんかを頼まれることがある。
地域の小中高や、その先生方や、はたまた父兄や、企業、団体、病院など対象はさまざまであるが
製薬メーカーの「勉強会」の講師なんてのも良くある。
昨日は、そんな「社内勉強会」で宇都宮まで行った。
担当者からはタクシーで来てください、とチケットをもらったが、
電車が好きなのと、なにより1時間以上タクシーに1人(運転手さんと2人)乗っていくのが苦手なので
電車で宇都宮まで。
両毛線で40分もかけてがたごと小山まで行って、
さあ、新幹線だ ♪ と、意気込んだが
小山~宇都宮間はわずか10分であった。
ひょっとして、JR宇都宮駅で降りるのは初めてかも。
駅前は「餃子」の文字ばかり。
これは、ゴジラ?
通された会議室はとってつけたような歓迎ムードで、
浦和レッズファンのワタシとしてはかなりウレシイ。
実は、社員にワタシに劣らず熱心なレッズ・サポがいて
そのヒトの指導の下に行ったことが、あとでわかった。
で、そんなわけでワタシのオープニング・スライドもこんな感じ。
花粉症の診断、治療について今回はこのブログに過去書いた「花粉百人一首」を絡めて解説。
(ブログ横のカテゴリー検索「花粉症」でご覧いただけます。)
話の内容はしばらく前から考えていたが、スライド自体は鹿児島から帰って4日間で80数枚作った。
まあ、こういうのは自分の知識の整理にも役立つので。
そして、ワタシの講演は、いつも最後のスライドはバンドのライブ告知と決まっています。
そのあとは、市内でちょっと美味しいお酒を飲んだりの水曜日であった。
来月は「禁煙」関係の講義を、こんどは県の保険ナントカ研修でやることになっとります。
内容はこれから考えますが、
やっぱり、レッズで始まり、バンドで終わる、と思う。
2016.06.24
午前中の仕事が拍子抜けするくらいあっさり終わり、
足利市駅へ。
鹿児島に向かう。
最近は手荷物の預けは自動化されたのだなあ。
なんとなくSFチックである。
鹿児島行きの搭乗は羽田空港の果ての果て。
時間に余裕持ってきてよかった。
鹿児島では大雨が心配されたが、曇りであった。
しかし、アツイ、そして湿度がハンパない。
鹿児島市は空港から遠い。
バスで50分、1250円。
ホテルにチェックインするともう8:00過ぎ。
夕食を食べに外に出る。
ココだな。
ガイドブックを見て予約した鹿児島郷土料理のお店だが、
なんかこの色紙の数、ハンパねえ。
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だが、たたずまいはフツーの居酒屋。
安くて、美味い。
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明日から、お勉強。
2016.06.18
いろんな事情でテレビ番組は録画で見ることがほとんど。
地上波はNHKしか見ないが、あとはBS,スカパー、WOWOWである。
録画したヨーロッパ選手権を見ようと思ったら、なんと録画されていない。
すぐにピンときてテレビつけてみると、BS,CSが映らず
「アンテナの状態を確認してください」のテロップが。
また、アレだ。
我が家の2階ベランダに設置してるパラボラアンテナの先に、
隣家の樹木が生い茂って、その枝が受信を妨げているのだ。
この5月からもう2回くらいベランダから高枝バサミで届く範囲をカットしたのだが、またダメらしい。
トナリは一人暮らしのおばあちゃんなのだが、今も住んでるんだろうか、
全く見かけないので、どこか施設にでもいるのかもしれず。
かなりの高齢だし、どうせ、連絡を取ってもらちが明かないので、
こちらから植木屋さんを頼むことしたが、
さしあたって、今晩のJリーグが見られない。
仕方ないので、庭に脚立を出して、我が家にかかっている枝の伐採を試みた。
高い枝だがけっこう太かったりで、なかなかうまくいかない。
まあ、見た目ではなくアンテナの視界が開ければいいのだ。
もう少し、もう少し、と頑張ってるうちに、あっと思った瞬間に、脚立の上でバランスを崩す。
あああーーー、やべ―――、と思いながら、
どうすることも出来ず、足が脚立に残ったまま真っ逆さまに転倒。
受け身を取ったので、頭を打つのは、何とか避けられたが、肩から背中、肘、腰、右太もも外側を強打。
手もすりむいていた。
あーーー、ヤバかった。
打ち所が悪かったら、大ケガ、ヘタすると入院だ。
だが、めげずに作業、再開。
その後も、もう一回転倒あり。
体は痛いし、Tシャツ、ジーパンはドロドロ、あちこち蚊に刺され、
身も心もボロボロになりながら、部屋に戻って、
テレビを見ると、やはり同じ画面、受診できてない。
ああー、ダメか、骨折り損かーー、と落胆してたら、
なんと、急にBS画面が復活。
CSも見られるようになっていた。
チューナーの方が、読み込みに時間がかかったらしい。
よかったー、コレで今晩のサンフレッチェ広島対浦和レッズが見られそうだ。
あと問題は、試合の勝敗だけど・・・・。
2016.06.15
子供のころ不満だったこと。
なぜ6月には祝日がないのだ。
1月から、2,3月と月一回は祝日、学校休みがあり、
4,5月の夢のようなゴールデンウィークを終えると
6月のカレンダーはいきなり平日全部真っ黒である。
以前は7,8月は祝日はなかったが、楽しい夏休みなので全く問題ない。
9,10,11月は祝日アリ。
12月は昭和天皇時代には祝日なかったが、これも冬休み~お正月とあるので気にならない。
子供のころ何か祝日にならないかと調べたら6月10日が「時の記念日」なので、
これが、祝日に格上げされますようにと神様にお願いしていたが、現時点でもその動きはない。
さて、今朝の下野新聞で知ったが、今日6月15日は栃木県の「県民の日」だそうだ。
知らなかったー、っていうか、全く話題にも上らない。
そもそも、学校休みじゃないじゃん!
調べると、栃木県が県民の日を制定したのは昭和61年。
ワタシが研修医2年目、ずっと群馬在住であったからその辺のことは知らない。
ちなみにその群馬県民の日は10月28日で昭和60年に制定。
県内の小中学校は休み、ひょっとして県立高校もたしか休みである。
病院は休みではなかったが、逆に小学生が朝から病院に来るのでそれとわかった。(県立病院は休みだったかも)
逆にこの日群馬県民は大挙して東京ディズニーランドに乗り込むという現象も有名である。
ともかく群馬県では県民の日は「みんなが知ってる日」であった。
故に栃木県民の日も当然休みだと思っていた。
だって、当時人気絶頂「おニャン子クラブ」の「会員番号の歌」には、
「〽会員番号11番 福永恵規 おニャン子クラブの中では
東京在住は私だけ 都民の日には休めるんだよーん」
というくだりがある。
だが、調べてみると県民、都民の日に学校が休みになるのは全国で、
茨城県(11月13日)・群馬県(10月28日)・埼玉県(11月14日)
・千葉県(6月15日)・東京都(10月1日)・山梨県(11月20日)
だけで、県民の日の設定自体、1都20県にしかなく、ない県の方が多いことがわかった。
ともあれ、関東の茨城、群馬、埼玉、東京、千葉から、トナリの山梨まで休みで、
栃木だけ休みではないのは、ちょっと解せねえ。
今はもう関係ないけど、オレが小学生だったら
みんなで県民の日が休みになるように知事さんに手紙を書こう、
くらいのことはクラスに呼びかけていたかもしれないなあ。