ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2019.05.24

パンク医学生のころ

 この間、書いた遠藤ミチロウ氏の記事に

なんと、コイト君からコメントあり。

彼はたしか教育学部だったかと思うが、

学校の先生やってんのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてツイッターにこんなポスターを上げてくれた。

そう、ワタシがTHE STALINの前座をつとめた際の

学園祭のポスター。

ランドセルがワタシのバンドです。

バンド名は「P-MODEL」のセカンドアルバムタイトルから。

曲はオリジナルですが、ジャンルは、このころは

まあ「パンク」から「ニューウェーブ」(死語か?)(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今のようにインターネットがない時代。

チケットは8か所、あとは手売り。

東京でも売ってたんですね。

トップにある「ガルシア」というのは、

前橋市に当時唯一あったライブハウス。

群大軽音時代よく出演したりライブを見たりしましたが、

アヤシイお店だったなあ。

薄暗くて、なんか変なクスリ打たれちゃうそうな・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場へのアクセスは

「国鉄前橋駅より渋川新町行バス前橋自動車教習所前下車」

おー、これはワタシのかつての通学路。

「国鉄」がシブイですねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スポンサーは日産チェリー群馬。

日産マーチは今もあるけど、

当時のこのマーチは近藤真彦がCMキャラクターで

「マッチのマーチ」がキャッチコピーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて、このポスター1枚から

いろいろな昭和の記憶が芋づる式に出てくるもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学生時代、ライブの時はスプレーで髪を赤や青に染め、

そのまま打ち上げいって、さんざん飲んで下宿で寝てしまう。

朝、二日酔いで起きて、洗面所の鏡で髪の毛の色見て一気に目が覚め、

あわててシャワーでスプレー落として、

白衣ひっかけて病院実習に行ったっけ。(^^;)

 

 

 

 

 

 


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2019.05.23

ニキ・ラウダの時代

5月20日の月曜日に飛び込んできた訃報が、

ニキ・ラウダ氏の逝去のニュースだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1975年、1977年、1984年のF1ワールドチャンピオンであり、

言わずと知れたレース界の「巨人」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストリア、ウィーンの出身でデビューは1971年、マーチから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、BRMを経て、1974年にフェラーリに移籍。

そして1975年、名車「フェラーリ312T」を駆って、

初のワールドチャンピオンに輝くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「312T」は3リッターの12気筒、

Tはトランスバース・トランスミッション、すなわち横置きギヤボックスのTである。

ラウダはこのマシンでフェラーリに1964年以来、11年ぶりの

コンストラクタータイトルをもたらしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、タミヤの1/12。

作ったのはもう5,6年前だったかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ニキ・ラウダにとって運命の1976年。

そこまで、このフェラーリ312T2 でポイントリーダーとして快進撃を続けたラウダは、

8月1日のドイツグランプリ本戦でクラッシュ、クルマは大火災に包まれる。

ドライバー、コースマーシャルの捨て身の救助でラウダは九死に一生を得るが、

衝突の際ヘルメットが脱げてしまい、顔の大きなやけどを負い、

有毒ガスを吸い込んだ影響で肺に深刻なダメージを受けた。

全身の70%の血液を入れ替え、一時は生命も危ぶまれたが、

その後驚異的なペースで回復。

事故からわずか6週間後のイタリア・グランプリで奇跡の復活を成し遂げるのである。

そして、タイトルの行方は最終戦。

舞台はこの時はまだ、イレギュラーだった日本開催のF1世界選手権イン・ジャパン。

富士スピードウェイの決勝は大雨で、ラウダは危険すぎると判断し、

わずか2周で自らクルマを止め、リタイア。

チャンピオンは1ポイント差でマクラーレンのジェームズ・ハントにわたった。

この312T2は、

一昨年作った今は無きイタリア「プロター社」製の1/12モデルであるが、

作りにくさでは定評がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コチラは、ハセガワ製の1/20の312T2。

レインタイヤでその富士スピードウェイの仕様になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、翌1977年、ラウダはシーズン3勝などで72ポイントを上げ

またこの「フェラーリ312T2」で2度目の王座に返り咲いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、フェラーリを離れブラバムで2シーズンを戦いました。

これは1/20のブラバムBT46。

タミヤ製、限定クリアカウル版。

カウルはクリア塗料で塗ったので、透けて見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドライバーフィギュア付き。

ラウダ先生、運転してます。(^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストリアカラーのヘルメットにはニキ・ラウダの文字が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラバム時代にはアルファロメオエンジンの不調もあり勝利は無く

1979年、いったんは現役を引退。

しかし、1982年にマクラーレンから現役復帰し、

1984年にマクラーレンMP4/2で、最後のワールドチャンピオンを獲得。

このモデルはアオシマの1/20「マクラーレンMP4/2」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マルボロカラーはカッコええなあ。

タバコは、ダメよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌年、1985年にマクラーレンのチームメイトのアラン・プロストの

初のワールド・チャンピオン獲得を見届けて

ニキ・ラウダ氏はドライバーズ・シートを降りた。

写真はマクラーレンMP4/2C。アラン・プロストのチャンピオン・マシンである。

これもプロター1/12。

作りにくいがフェラーリのキットよりはまだマシだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現役引退後はラウダ航空など、航空会社の経営に携わる。

フェラーリのアドバイザーを経て、

先日までメルセデスF1チームの役員を務めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

70歳という年齢での死因は肺の病気といわれ、肺移植も受けていた。

あのドイツGPでの肺損傷が後年まで後遺障害を残したのであろうか。

偉大なドライバーの冥福を祈りつつ、

今週末は伝統のモナコGPが開催される。

 

 

 

 

 

 


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2019.05.22

交代で入った長澤の活躍などでACL予選突破。

 あの(黒)歴史に残るゲームから、中三日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 に、しても、エライ書かれようだなあ。

完全に、悪役にまわっている。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、今夜のこのゲームに勝つことで、また顔を上げることができる。

そのためにも・・・・・

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2019 ACL グループステージ最終節

 浦和レッズ  3-0   北京国安 (埼玉スタジアム2002)

   (前半 2-0)

   (後半 1-0)

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 こんな、大事な試合に現地に行けないなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レッズのスタメンは予想通り、現時点でのベストメンバー。

金曜日の試合からの連続出場はGK西川を除けば、DF鈴木とキャプテン柏木のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回書いたようなレギュレーションの解釈から、

この試合でレッズが勝ち抜ける条件は、勝利あるいは0-0のドロー。

負ければもちろんだが、1-1,2-2の引き分けでも敗退が決定してしまう。

それにしても、北京国安のユニフォームカラーが

湘南ベルマーレと同じライトグリーンであるのは何となく、ヤナカンジだ。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリヴェイラ監督がどう出るかが見ものであったが、

試合は、レッズが仕掛けるスタイルで始まった。

たしかに、0-0で守り切るという手は、なかなか狙ってできるものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、開始早々にアクシデント。

13分、キャプテンマークを巻く柏木陽介が相手との接触から交代を余儀なくされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 代わって、入ったのが長澤。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、何が幸いするかワカラナイ。

この長澤が、結果的に今夜のキーマンになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 34分、武藤からのパスを受けた長澤は

そのままボックス内で相手をかわし、右足を一閃。

ボールは相手ゴールに吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これで1-0。

だが、先も言った通り、このスコアはリスキーだ。

このまま、進んで終盤に1点取られたらレッズは1-1でアウトになる。

ある意味、パンドラの箱を開けてしまったかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、41分の2点目は大きかった。

左サイドを巧みなボディバランスで突破した長澤がカットイン、

シュートを打つと見せかけてDFを引き付けたところで武藤にパス。

これを武藤が倒れ込みながら打ったボールは相手DFに当たったがゴールイン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2-0となると、1点取られてもまだ勝ちなので、ここではじめて余裕が生まれる。

柏木の思わぬ負傷から交代した長澤の活躍が、この2点を生んだことを考えると、

この間の誤審といい何が幸運や、何が不幸につながるかはワカラナイ。

まさに禍福はあざなえる縄の如し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、むろん、セーフティではない。

後半45分間、守りに入って1点でもとられれば、またサドンデスに逆戻りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レッズは、守りに入らず、積極的にボール奪取に行き攻撃的に進めた。

支配率はやや北京に傾いたが、引きこもってブロック一方ではなく、

カウンターで相手を脅かす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジリジリした展開の中、時計はレッズの味方である。

北京も次第に焦りをあらわにしていく。

特に、監督。(^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、試合をフィニッシュさせたのはエース興梠。

81分、山中のパスを左サイド深いところから武藤がダイレクトでマイナス方向へ折り返し、

これを抜群のポジション取りをした興梠が、これまたダイレクトでシュート。

まさに、息の根を止めるストライカーの一発であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果、3-0の快勝で、グループ2位での予選通過を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナト・アウグスト、ビエラ、そしてこのセドリック・バカンプを擁する

強豪北京国安から勝ち点3をもぎ取ってのラウンド16進出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、チームの上昇気流になってくれるといいんですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2019.05.21

F-14A TOMCAT ’INDEPANDENCE’

先日のスホーイSu-22を作って、にわかに制作意欲がわいたF-14トムキャット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶん25年くらい前に購入。

当時の定価は¥2200。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

購入価格は¥1980、消費税はこのころあったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、このモチベーションが消えないうちに作らねば。

なぜなら、このキットはハセガワがヒコーキモデルバブルのころ、

1988年に発売したキット。

やたら、パーツが多く、ワタシのキライなエッチングパーツまで「標準装備」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ハセガワのトムキャットとしては、1977年の初代に続く「新金型」で

ライバルに負けじと気合の入った「攻めた」設計で、決定版とも呼ばれるが、

逆に分割が多く、組みづらい、と評判(?)のキット。

心身ともに気合が無ければナカナカ完成まではたどり着けないシロモノなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ともかく、コックピットから。

素組で十分。

この緑のレーダースクリーンが当時、新時代の飛行機を感じさせた。

まあ、スターウォーズ的な・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このキットの難点のひとつは、キャノピーの真ん中に

パーティングラインが入ってること。不親切極まりない。

目立つ部分だけに、これは消さざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

透明パーツにヤスリ入れるのは、気が引けるが・・・。

ごしごし、まず、消します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは、ひたすら、磨く。

まず、粗目で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて、細目。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後は仕上げ目で磨きこみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胴体は前後分割、翼もばらばらに組みます。

これらの継ぎ目の段差をすべて消さなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャノピーもハカマ部分にかなりのギャップが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

各部、塗装し、つなぎ合わせて、シャドウ吹き。

今回はロービジでいくことにしました。

グニャグニャしてます、テキトーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、迷彩色をムラを残しながら吹いたら、デカールを貼って、

艶消しと半光沢のあいだくらいで、オーバーコート。

時間の関係で簡単に書いてますけど、けっこう手間かかっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ、端折って、ともかく、完成。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

F-14AはF-4ファントムⅡの後継となるアメリカ海軍艦上戦闘機で、

1973年より、配備開始。

カッコイイす。

今のラプターやライトニングⅡにはちっとも魅力を感じないけど、

この時代までだなあ、ジェット機がカッコよかったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

製造はアメリカ海軍の名門、ダグラス社。

愛称の「トムキャット」は「雄ネコ」の意だが、

第2次世界大戦時の、F4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット、F8Fベアキャット、

戦後のパンサー、クーガー、タイガーを経ての伝統のネコ科ネーミングである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グラマン社的には、先代のタイガーがヒットせず、

その後マクドネル・ダグラス社の大ベストセラー

F-4ファントムⅡに奪われていた海軍主力戦闘機の座を

奪還することに成功した機体である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特徴は、この可変翼。

このキットの主翼は可動式ではなく、開閉選択になっているが、

とりあえず差し込んでであるだけなので、なんちゃって開状態が作れます。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

離陸時などの開状態ではフラップが降りるのだが、そこは見ないことで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャノピーのパーティングラインも、段差もほぼ、ちゃんと消えてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ軍の航空機は1990年前後からグレー主体の

低視認性、いわゆるロービジ迷彩に切り替えられて行きました。

個人的には、それまでの、派手なカラーリングの方が好きですが、今回はこのロービジで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし、尾翼の部隊マークだけは色付きが良い。

司令官の乗る「CAG」機(Commander Air Group)だけは、

カラー塗装が許されてる場合があるので

機体を説明書の指示とは違う200番の隊長機にでっち上げて、

フリーランサーズのマークを黄色にしてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際の塗装とは違うかもですが、まあ、模型なんで。

このスコードロンにしたのは

実は1993年、米軍厚木基地で行われた基地祭WINGS93で

ワタシが実際に見たF-14が

当時空母インディペンデンス所属のフリーランサーズだったからです。

ワタシの所有するフライトジャケットもフリーランサーズの仕様になっております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画でのF-14は「ファイナルカウントダウン」や

「インディペンデンスデイ」でも活躍しますが、

なんといっても1986年の「トップガン」にトドメをさすでしょう。

カッコヨカッター。

また、映画がみたくなった。

こうなると、次はハイビジの機体が作りたい。

買いたいけど、他のヒコーキのストックをもう少し減らさないと、

未組在庫増えすぎてヤバイ・・・。(ーー;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2019.05.20

翼をください

空を飛ぶことは人間の古来からの夢である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥の様に大空を自由に飛べたら、どんなに素晴らしいことか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ、それが、夢の中であっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、昨夜、空を飛べるようになった夢を見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなった状況はよくわからないが、

夢の中で、ある日突然ワタシは、空を飛ぶ能力を身につけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その「飛行法」に問題があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が空を飛ぶスタイルというと、

スーパーマンやウルトラマンみたいに

手を上にあげてしゅーっと飛んでいくイメージ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるいは両手を翼のように広げて

ゆるやかに羽ばたきながら滑空するイメージだったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが、夢の中でワタシの獲得した飛び方は、

ちょうど平泳ぎのように両手両足をかきながら飛ぶ、というものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それも、がんばってかくと天井の高さくらいまではいけるが、

それ以上はどうやっても上がれず、

一生懸命かいてないと落ちてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 必死でかきまくるが、いや、疲れるのなんの・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爽快感は、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、せっかく空を飛ぶ夢を見たのだが、

朝起きたら、妙な疲労感が・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、人間は空を飛ぶようにはできていないのだ。(^^;

 

 

 

 


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医療系をまとめました。
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