ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.01.02

元日は登校日

 今の人が聞いたらびっくりするでしょうが、

昔は1月1日は「登校日」だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネットで調べてみると、

戦前はどこの小学校も元日は登校日で、

国旗を掲揚し、教育勅語をみなで唱えた、とあります。

ふむふむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、元日に登校する慣習は戦後もあったが、

多くの地域は昭和20年代に廃止され、

東京は昭和30年ころまで、

近畿地方の一部地域では昭和40年ころまであったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、ワタシが小学校1年生の時は元日登校はありました。

そして、小学2年生の時には、無かった。

ということは足利市の元旦登校は1967年(昭和42年)の元日が最後、

ということになります。

全国的にもかなり「遅れていた」?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナゼ、このことを鮮明に覚えているかというと、

あるモノがカギになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直、元日に学校に行ったときの様子も何をしたかも全く覚えていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ一つ覚えているのは、帰るときにもらった「おみやげ」です。

戦前からの風習で元日登校の帰りにはお菓子などの「おみやげ」がもらえました。

かつては、紅白のお餅などであったようですが、

ワタシたちが、1年生の時もらったのは、

「サンダーバードのチョコレート」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たぶん、今のスマホくらいの小さい板チョコでしたが、

これが、うれしくてうれしくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絵柄はたしか、1号とスコットだったと思うが、

ひょっとしたら3号とアランだったかも。

色は青だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1966年4月から1067年4月まで放送された「サンダーバード」は、

同時期に放送された「ウルトラマン」と並んで

少年時代のワタシを夢中にさせました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、チョコレートも、なかなか親が買ってくれない

大好きなお菓子の代表だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも、親が買ってくれるチョコレートは、

必ず「弟と半分こしなさい」といったものだったのに対し、

このサンダーバードチョコレートはいわばパーソナルサイズで、

全部自分で食べられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 板チョコを割って、分けてお皿に並べて食べる、のではなく、

銀紙をむいてじかに食べる、というのも憧れの食べ方だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくは、もったいなくて食べられず、

自分の机の引き出しにしまって、

時々取り出しては眺めてニヤニヤしていたように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当然、次の年の元日登校も、実は楽しみにして心待ちにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、それがないと聞いたときの喪失感はけっこうあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆえに、足利市の元日登校が

1968年から無くなったことは、おそらく確実です。(*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時は、コンビニはおろか、まだスーパーもない時代でした。

こうしてみると、オレも相当ジジイだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

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