ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2019.05.11

日本耳鼻咽喉科学会総会2019@大阪~0日目

 お知らせしました通り5月9日、10日は

第120回日本耳鼻咽喉科学会総会のため休診でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発は5月8日水曜日の午前診察終了後。

レディアを動物病院に預け、慌ただしく昼食をとり、出発。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝ドラ「まんぷく」のことを思い出しつつ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京行きを待つ足利市駅で、耳鼻咽喉科のT先生夫妻とばったり。

むろん目的地は同じだが、宿泊先も同じであった。

学会あるあるですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大阪へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新幹線の中では、昨日のACLのブログなど書いたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻に大阪着。

駅に着くと、いきなりこんな看板。

あー、ここはやはり異文化の地、大阪やねん、と改めて認識。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手前から2つ目の四角いのがホテル、リーガロイヤル大阪、

その向こうの上になんか載ってるビルが学会場の大阪国際会議場である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駅から、離れているのでガラガラ鞄を引きずって15分あまり、やっと着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疲れていたので、外に出る気はせず、ホテル内のレストランで夕食。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日からがんばりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 といいながら、また部屋でも飲んだりして・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.05.10

ミシる

我が家の駄犬レディアは基本的に散歩がキライである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世の多くのイヌは散歩に行くよというと欣喜雀躍し、

いったん散歩に出ると、帰りたがらなくて抵抗するイヌも多いと聞く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、コイツは逆である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室内犬なので散歩の主たる目的は「排泄」であり、

「運動」は従である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女もそれがわかっていて、しぶしぶ散歩には出るが、

「大」「小」を済ませると、

さあ、もういいでしょ、

といわんばかりに帰り支度にはいることが多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無理に散歩を続けさせようとすると、

肢を踏ん張って、引かれまいとミシミシと抵抗する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このレディアのマニューバーを我が家では「ミシる。」と呼称している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の日や、風の強い日はもう、

顔が変形するくらいミシる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、もう、老犬なので、そこまでミシるのは、

体調が悪いのかかなあ、

まあ、無理はさせられないなあ、

などと思うと、さっと方向転換して尻尾を上げて嬉々として帰路につく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特に昨年秋あたりから増えたなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時は、方向転換でアタマがいっぱいで、

いったん石段ではない方向に向かいかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、帰ってきて疲れてるかと思いきや、

朝メシはこの勢いである。

顔、笑ってるし・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、食欲旺盛で何より。(^^;

 

 

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2019.05.09

アウェイでブリーラムに勝ち、最終節に望みをつなぐ

ゴールデンウィーク中のリーグ戦では、

5万人の前で残念すぎる敗戦を喫したレッズは、

わずか中3日で灼熱のタイでのアウェイゲームに臨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ACLにしても全北現代にアウェイとホームで2連敗し、

予選通過圏外の3位に転落したレッズ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ACLヤバそうなのでソッチはそこそこにして、

リーグ戦に精力を傾けよう。

というムードから、いや、リーグ戦も厳しそうだから、

ACLの方も諦めないでタイトル奪取の可能性をひとつでも多く残さねば、

というモチベーションになったとすれば、

ジュビロ戦の敗戦もマイナスの経験ではなくなる、

などとポジティブシンキングをしてみる。

 

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2019年ACLグループステージ第5節

ブリーラム・ユナイテッド   1ー2    浦和レッズ

                              (前半    1ー2)

                              (後半    0ー0)

 

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タイは熱帯雨林気候、気温は摂氏30度を超え、湿度も高そうだ。

試合は真夏のJリーグでみられる吸水タイムがとられるコンディションであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリヴェイラ監督は前節試合後のコメントどおり、

ミッドフィールドに長澤とエヴェルトン、

もう一人は敗戦の原因となったバックパスミスの青木を入れ、

3バックは中央に岩波、左右に槇野、鈴木、

ワイドは山中と、やはり全北戦で失点の原因をつくった森脇、

2トップは興梠と武藤という、

俠気のある布陣をはってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーラムは、負ければ予選敗退が決まる。

一方のレッズは、この試合を含めた残り2試合を連勝すれば、

自力突破が可能である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、開始わずか3分での興梠の先制点は、

浦和に大きな勇気を与えた。

何しろ得点力不足のなか、

セットプレーではなく、流れの中からの得点はイケる感があり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明らかにJリーグのチームよりも守備は格下のブリーラムディフェンス陣相手に、

すぐにでも追加点が取れるかと思ったが、

そこは浦和レッズ、先制点のちょうど10分後の13分に

相手の中では唯一警戒しなければならないペドロ・ジュニオールに、あっさり同点ゴールを許してしまう。(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽勝ムードに冷水を浴びせられ、事態の深刻さを改めて認識させられたレッズは、

今度はペドロ・ジュニオールの動きに常に注意を払い

チャンスの芽を潰しつつ攻撃の厚みを増してゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると、またまた10分たった23分、

バイタルエリア内でエヴェルトンが体を張ってキープしたボールが、

ゴール前の武藤に渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると、1点目の興梠のゴール左隅に決めたシュートと

まったく左右対称のような武藤の左足のシュートが、

ゴール右隅に決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武藤の今期初ゴールは、

いったんは追いついたブリーラムにかなりのダメージを与えたはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、双方にチャンスはあったが、

結局スコアは動かず、2ー1でレッズの勝利。

勝ち点を7に伸ばし最終節に望みをつないだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまででグループEは、

全北現代の1位通過と、ブリーラムの予選敗退が決定。

次の北京国安との直接対決でレッズは2位通過を狙うわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現時点で勝ち点は同じ、得失点差でレッズが2位ではある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、勝った方が勝ち抜け、ということは当然だが、

引き分けの場合は少々ややこしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引き分けなら2位のレッズがそのまま予選通過かと思いきや、

勝ち点が並んだ場合、当該チーム間での優劣が決め手になる。

つまり直接対決の2戦での勝ち点、得失点差、総得点、アウェイゴール数、の順になる。

そこで差が無い場合はグループステージ全体の得失点差、総得点の順に評価される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アウェイでの北京国安戦は0ー0の引き分けだったので、

最終節が引き分けの場合、

当該チーム間での勝ち点、得失点差、総得点には差がつかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると当該チーム間でのアウェイゴールが関わってくる。

0ー0の場合はこれも差がつかないので、

グループ全体での得失点差で上をゆくレッズが勝ち抜け。

1ー1の引き分けの場合には北京の埼玉スタジアムでのアウェイゴールがカウントされ、北京国安の勝ち抜けとなってしまう。

もちろん2ー2でも3ー3でも負け。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なのでレッズ的には、0ー0で試合が進んだ場合、

1点取られたら2点を取らないとダメ、という事態になる。

先制点を取っても1点取られたら負けちゃう、ということになる。

あー、今からドキドキしちゃいますね。

やだな。

オリヴェイラ監督の戦術に期待したいです。

 

 

 

 

 

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2019.05.08

学会にともなう休診のお知らせ

 超大型連休の余波で大変でしたが、

またまた休診のお知らせで、申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かねて、告知しました通り

5月9日(木)、10日(金)は日本耳鼻咽喉科学会総会のため休診です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新専門医制度になってから、単位取得の規定が厳しく、

どの学会も混乱気味らしいが、今回はどうでしょう。

当院の患者さんでもある某病院放射線科の先生のお話では、

先月開かれた放射線科学会の総会では、

領域講習大混雑で、部屋の外で聴く羽目になったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳鼻咽喉科学会の総会は毎年、この時期恒例ですが、

今年は改元、新天皇即位にともなう休日増加のため、

休診が増えております。

会期は5月11日(土)までですが、

金曜日の深夜に帰ってくる予定ですので、

11日土曜日は平常通り午前中の診察を行います。

大変込み合いそうなので、その点ご了承ください。

 

 

 

 

 

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2019.05.07

あしかがフラワーパークに藤を見に

 5月6日、今年も行ってきました。

ここは、あしかがフラワーパーク。

後ろに見えるのが新しくできたJRの駅です。

まだ6時半なので駐車場は空きがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駐車場のオジサンはやっと出てきたところで、まだ誘導する人はいません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は6時35分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7時開園ですが、列ができています。

ただ、連休最終日なので列は短いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の料金は・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1700円でした。

最高値は過ぎたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、ワタシは例によって「アンタレス会員枠」なのでタダです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 超大型連休、あしかがフラワーパークは近いのでいつでも行ける、

と思っていたら最終日になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも、藤の花はピークを過ぎたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと色が褪せてしまい、残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも、今朝は曇り空なのでさらに色が冴えません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでもきれいな花はイッパイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャクナゲが華やかです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャクナゲはツツジ科。

それにしてもいろんな名前がありますね。

シュバイツアーは、あのシュバイツアー博士のシュバイツアーなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このトンネルは、見事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらが、「主役」の大藤。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これを、移設したのだからたいしたもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、この藤はもっと市内に近い「早川農園」というところにありました。

幼稚園のころの遠足の定番の場所、あしかがフラワーパークの前身です。

1996年にこの地に移植されたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おや、看板に・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナナホシテントウムシが数匹。

カワイイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハスの花も咲いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この青色はスゴイですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このデルフィニウムという花の青色はデルフィネジンという色素。

妻の解説によると、「青いバラ」の開発は、

サントリーがこのデルフィネジンをつくる遺伝子を

バラに組み込ませることにより成功したらしい。

ついでに調べたら、デルフィネジンは抗酸化物質アントシアニジンの一種で、

赤ワインのカベルネ・ソーヴィニヨンのブドウの赤紫色にも含まれるらしい。

サントリーと赤ワイン、酒つながりですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな、藤もあります。

もともと、藤はツル植物なので、こんな演出ができるわけで、

これをはじめとした、園内の藤棚は

また、あしかがフラワーパークのもう一つの売りである

イルミネーションのセットとしても利用できるわけです。

よくできてますな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなわけで、今年も無事「フジ詣で」ができました。

来年は時期と天気をもう少し「詰め」ます。

このリラックマ、ちょっと欲しかった。

 

 

 

 

 

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2019.05.06

アメリカばかりがなぜ赤い~遠藤ミチロウ氏の死を悼む

 5年前のゴールデンウィークに飛び込んできたのは

58歳で亡くなった忌野清志郎氏の訃報であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、また、今年の同じ時期、

日本の偉大なパンクロッカー、遠藤ミチロウ氏の死亡のニュースが、

新元号令和のスタートに相前後して伝えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1950年11月生まれ、というから享年68歳。

1980年ザ・スターリンを結成。

その先鋭的なパンクサウンドと、過激で暴力的なステージパフォーマンスで、

たちまち日本全国で賞賛と非難の嵐を巻き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時ワタシは、大学2年生、数年前にパンクロックの洗礼を受け、

パンク~ニューウェーブに夢中で、バンドを結成し、

四六時中ロックのことばかり考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、ザ・スターリンの典型的なパンクロックのスタイルは、

その時、すでに若干色あせた、時代の先端からはちょっと遅れた音楽であった。

セックス・ピストルズはとっくに過去のもになり、

ザ・クラッシュはその半年前に名盤「ロンドン・コーリング」を発表し、

ストレートな古典的パンクから、

レゲエ、ダブをとりこんだ方向にその音楽性を広げていた。

ところが、そんなザ・スターリンのデビューアルバム「STOP☆JAP」を聴いて

その完成度の高さに愕然として、ワタシはあっという間に虜になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドン・パンクのスタイルだけを単に模倣して

日本語の歌詞をのせたグループもあったが、

そのあまりの歌詞の幼稚さに、どうも入りこめないワタシがいた。

もともと、洋楽至上主義のワタシとしては、ロックは英語という概念があり、

例えば日本のパンクバンドとしてはそこそこ成功した「アナーキー」などは、

あー、コイツら、ホント、アタマ悪そう、という感じで、

聴いててハズカシイ歌詞も多く、

とても聴きこんだり、演奏したりする気は起きなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが「ザ・スターリン」は、違った。

サウンドの切れ味、レコーディングの音圧のかけ方もスバラシイが、

ともかく、遠藤ミチロウの書く歌詞の切り口、

単語の選び方、カッコ良さは、どれも新鮮で

こんな書き方があったのか、という衝撃であった。

まさに、詩人、文学といっても良い「作品」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠藤ミチロウ氏は、実は福島県一番の進学校、

福島県立福島高校から国立山形大学人文学部卒業、

アタマ、良いのである。

そして、文学センスは抜群。

この辺、ワタシがやはり大好きだったバンド「INU」のことにも重なる。

1981年の「INU」のデビューアルバム「メシ喰うな!」は

ポスト・パンク的なサウンドで、チョーハマったが、歌詞もカッコよかった。

リーダーの町田町蔵は、のちに町田康として芥川賞作家となる。

歌詞を書く、ということは音楽的才能ではなく、文学のセンスが必要だということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシの一番の思い出といえば「ザ・スターリン」の前座である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのあまりの暴力的、破壊的なステージから、

各地のライブ会場の多くは彼らには会場を貸さない、

ということになったザ・スターリンだが、

なんと、群馬大学荒巻キャンパスの学園祭でのコンサートが実現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らを呼んだのは教育学部の学生、コイトくんという男で、

パンク、ニューウェイブの大ファン。

自分では演奏しないが、その前年にはやはり群馬大の学園祭に

東京のパンク~ニューウェイブのバンドをいくつか呼んで、ライブを行った。

アンダーマーケット・ギグと銘打ったそのイベントは

ゼルダなどの有名バンドも出演し盛況であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コイトくんは、ワタシが当時やっていたバンド

「LANDSALE」の大ファンでもあり、良くライブに来てくれていた。

その彼から、相談を受けたのである。

今度の学園祭でザ・スターリンを呼びたいんだけど、

その前座を「LANDSALE」でやってくれないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「スターリン、来るのか?」

「来る、10万円で来てくれる。

ただし、他のバンドはブッキングできないので

オグラくんとこのバンドにお願いしたい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伝説のバンド、ザ・スターリンの前座か・・・・、

正直かなりビビったけど、けっきょく受けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、学園祭の当日。

荒巻キャンパスは前橋駅からバスで20分ほど。

前橋教習所前停留所で降りるが、その日そのバス停は、

バスが停まるたびにつぎつぎ吐き出されてくる

異様な風体のヒトビトで普段とは全く違う風景になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その革ジャン、ハナピアス、カラフルなトンガリヘアー、の一群は

まっすぐ群馬大正門に向かい、学生ホールに吸い込まれていく。

限られた場所でしたコンサートを行えないザ・スターリンを見に、

日本各地から、過激なパンクスが集合したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー。怖え~~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開演時間。

オールスタンディングの学生ホールは、パンクスたちで満員。

照明が落ちるとともに、スターリン、スターリンの大合唱。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに出てくのか・・・・・・(@_@。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えいやっと、ばかりにステージに飛び込んだワレワレ。

わーっという歓声は、なんだスターリンじゃねねのかよ、というどよめきに変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 演奏を始めると、会場全体がうねるようだ。

すると真っ暗な中に、パッとライターの火が見えた。

とその次の瞬間、放物線を描いてステージに投げ込まれた物体が、

激しい音とともに炸裂、火薬のニオイがハナを衝く。

爆竹である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すると、それが合図のように会場のあちこちで火がともり、

次々に爆竹が投げ込まれる。

アブナイ、アブナイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、もっとヤバいものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あそこで火がついたなと思ったら、こんどは放物線ではなく

ヒューという音とともにライナーでこちらに飛んでくる。

それが足元で、爆発。

ロケット花火である。

爆竹なら避けようがあるが、これがまっすぐ飛んで来たら避けようがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも何とか、予定の5曲を演奏し、

もう最後は逃げるようにステージ裏に避難した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽屋では出番を待つ遠藤ミチロウ氏が、うずくまって

ブツブツなにやら独り言を言っている。

実に、物静かでクライ感じ。

何か、精神を集中しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バンドが演奏はじめてから、遅れてステージに向かったミチロウ氏は、

大声で、観客をあおると、いきなりスピーカーにのりかかって、

客席に水をぶちまけ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっきまでのおとなしい姿とは、全く別人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、プロのロッカーだ、スゲエ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ワレワレは、ステージに押し寄せる観客を必死に抑え、

PAなどの機材を守る側になったので、

ちゃんと曲を聴けたわけでは無いが、ともかくすごいステージでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ほどなく、ザ・スターリンは解散してしまたわけだが、

あの日のライブは今でも夢のような経験です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠藤ミチロウ氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 

https://youtu.be/CGyDr39VpTA

 

 

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2019.05.05

北仲路地裏ワイン、雨でさんざん、しかも終了!?

 ここのところ毎年恒例でゴールデンウィーク中に行われていた

北仲路地裏ワインウォーク。

いつも5月3日でしたが、今年は4月30日、平成最後の日の開催でした。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、この日はあいにくの雨。

家の前から覗いてみるが、いつもは通りにヒトがいっぱいなんだけど、

今日はやってるんかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の小やみを待っていたが、やみそうにないので出かけてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、やってますが、雨でカワイソウ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今思えば10連休中雨が降ったのはこの日だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いろいろなグルメ屋台が出てはいますが、

傘を持って、ワインを持って、牛串だと手が足りない💦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テントで肩を寄せ合うようにして、ワインを味わう人もいましたが、

座ってゆっくり、というわけにはいきません。

全体としては閑散としています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、これは去年の様子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天気ばかりはどうしようもないが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よりによって、この日だけ冷たい雨とは・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文子さん、かき氷はハズレでしたね。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やむなく食べ物を買って家に持ち帰り、ワインとともにいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これがまた、どれもこれもめちゃくちゃウマイ。

お祭りの屋台のレベルをはるかに超えた、絶品グルメばかり。

それだけにこの雨が恨めしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、後から知ったのだが5年間続いたこのイベント、

なんと今年で終了だとか。

えーーー、そりゃ、残念すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも、今年5月3日にはこんなイベントが、

同じ足利市の南の方で開催されていた。

そっか、この日駅前のセブンが混んでてチケット発券できなかったのは

このせいだな。

 

 

 

 

 

 コレは、どこが主催かわからないが、

せっかく足利市が中心市街地活性化を促進しようとしているのに、

川向こうの新興住宅商業地域でこんなイベントやったら、

ちょっとマズくないですか。

市長はいったいどんなお考えなんでしょうか。

 

 

 

 

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2019.05.04

憑き物と香辛料

 さて5月3日は後半5連休の2日目。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この5連休の予定といえば、真ん中の4日に

埼玉スタジアムに浦和レッズの試合を見に行くことくらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとはのんびりして、

本を読んだり、模型を作ったり、録りためた映画を見たり、

という予定。

これが大変、楽しみ。

妻は1日午後から、九州の実家に帰っており、

ワタシの役目は、イヌの世話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまり外にも出ず、もっぱら基本は3食自炊なのだが、

昨夜遅く、急遽、息子が帰ってくるとのLINEが入ったため、

お昼はカレーでも作るか、と思いたった。

朝、ご飯を炊き、朝飯の支度とともに、カレーも仕込んでおく。

とりあえず、「減塩」で。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初はお昼ころ着くとのことであったが、

その後、特急りょうもう号が満席でとれず、

やや、遅れるとのこと。

じゃあ、こっちは、先に食べちゃうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、カレーを火にかけ、

まったりとなんかテレビでも見ながら食べよう、

とテレビをつけ番組表を検索すると・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「!」

 

 

 

 

 

 

 

 14時からテレ玉で、「浦和レッズ スーパーマッチ」ですと!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いや、試合はたしか、明日では・・・・

と調べると、なんと本日5月3日午後2時キックオフ

ハッと、時計を見ると、現在午後0時30分!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やばーーーーーい💦、勘違いをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あわてて、カレーの火を止めて、支度をする。

チケットは買ってあるが、まだ発券していないので、

まずセブンイレブンに寄って行かないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レプリカやタオマフをバッグに詰め、クルマで出発。

ちょっと走ったら

「ETCカードが挿入されていません」

と、機械がしゃべる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シマッタ、こりゃ、イカンと、すぐさま自宅へとってかえし、

もう1台のクルマからカードを抜き取って、再出発。

あせっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一番近い駅前のセブンイレブンに寄ったら、

向かいの専門学校で何かイベントらしきものをやってて、

ヒトがうじゃうじゃ。

レジは列ができている。

ここは、時間がかかる、ダメだ、とまたクルマに戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー、昨日までに発券しておけばよかった。

そうすれば、日時の勘違いにも気づいたかも、だし。

ともかく、街道沿いのセブンイレブンで、チケットを発券し、

埼玉スタジアムに向かう。

もう、半泣きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸い道は、混んでおらず、一般道、高速道を吹っ飛ばしてゆく。

 

気持ちが動転してるので、ヒトやネコをはねたら大変だ。

 

こういう時は、気をつけないと。

 

ネコならいいが、ヒトだと一生がフイになっちまう。

 

いやいや、ナニを言ってる、ネコだってはねたらダメだ。

 

 

・・・・・あせっているので、どうも思考が混乱している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お腹は空くが、スタジアムでお弁当でも買えばいい、とまずは現地へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー、もう、誰もいませんね。

キックオフ時間はテレ玉の中継があるということは14時4分だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年J1第10節

浦和レッズ   0-1    ジュビロ磐田 (埼玉スタジアム2002)

   (前半  0-0)

   (後半  0-1)

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 そんなわけで、滑りこんだのは開始15分後、まだ0-0であった。

昼メシは、キックオフ後なのに売店前にまだけっこう長い列ができていたので、後回し。

まったく、今日はどうしちゃったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レッズはスリーバックか、ふんふん槙野、マウリシオ、鈴木、

両ワイドが山中と、森脇で、中央に長澤とエヴェルトン、

2トップは武藤、興梠、主審は・・・あの顔は松尾一だな、

と、ピッチを見ながらスタメンと、そのスパイクの色を確認する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は、メインスタンド南をとったので、ジュビサポモちらほら。

それにしても、バックスタンド上方までよく入っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後半30分過ぎに出るオーロラビジョンでは、

本日の入場者数は53361人、と発表されました。

たいしたもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レッズは、ボールを支配するが、司令塔の柏木を欠くためか、

なかなか有効な攻撃ができない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逆に、カウンターから決定機をつくられ、西川のファインセーブで間一髪しのいでいる。

文化シャッターの「Nice Save」、今日は何回あったかしら。

そのたびにざわつく、これまた上までいっぱいのメインスタンド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マッチデープログラムと何か食いものを買おうと、

後半終了前にコンコースに出たが、

マッチデーを買って戻るとすでに飲食販売はごった返しており、

蛇行する列にならぶ元気もなく、食事はあきらめる。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後半開始。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 基本的には前半からの流れだが、

次第にレッズも形ができてきた。

しかし、得点力不足・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3連勝したが、ついに引き分けか、とおもった88分。

レッズに最大の決定機が訪れる。

山中がカウンターから抜け出し、キーパーと1対1。

よし、そこだ打て―(゚Д゚)ノ

 

 

 

 

・・・・・・・打たねー (*_*;

 

 

 

 

 

 

 

なんと、中の興梠に出したが、コースが甘く、キーパーに止められる。

おそらく前節エスパルス戦の汰木~興梠のゴールが頭にあったのかとは思うが・・・。

あそこは、打つでしょ。

そのままロスタイム突入。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、4分のロスタイムも残りわずかとなった時、

レッズ左サイドにいた青木が何を血迷ったか、

キーパーに、不用意なバックパス。

むろん、ロドリゲスがそれを見逃すはずが無く、

かっさらって、持ち込んでシュート。

そりゃ、うれしいよな、満員のアウェイでレッズ相手にロスタイムのゴールなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが決勝点となって試合は0-1で終了、レッズにとっては痛すぎる敗戦となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は、最初からツイてなかったからなあ。

負け方のパターンとしてはサイアクだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は、どうも何かとり憑いているらしい・・・。

さらに悪いことは続く。

なんと帰り道で、スマホの液晶がおかしくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰りに、足利の携帯ショップにもっていったら、

これは、修理ですね、

ここではできませんのでアップルショップに持ち込んでください。

または、機種交換しちゃいますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この際、機種交換でもいいかな、とも思ったのだが、

待ち人数もいて1時間くらいかかる、とのこと。

ともかく腹が減ってどうしようもなかったので、

いったん帰宅することに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっきょく、朝飯のあとは、何も食べられず、

帰ってから午後7時に、遅い昼ご飯を食べました。

まあ、カレーは良くできてましたけど・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしたら、カレーライス食べて少ししたら、なんと液晶が復活。

あら、機種交換しなくて良かった。

カレーの香辛料が効いたのだろうか・・・・。

香辛料は、古くはクスリや魔除けとして用いられていた。

ジャワカレーだし・・・。

カレー食べてから行けば、試合も勝ったかなあ・・・、なんて。

 

 

 

 

 

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2019.05.03

平成から令和へ~徳仁陛下

 そして、新天皇になられたのが、徳仁陛下です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この方には、ワタシはかなりのシンパシーがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、なんといっても同学年。

ワタシは昭和34年5月、陛下は昭和35年の2月早生まれだから、

同じ年に小学校に入り、同じ年に高校を卒業した。

残念ながら、大学入学はむこうの方が1年早かったけど。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、同じ時代を経験してるわけです。

たぶん、小学校低学年のころは怪獣ブームに夢中になり、

そのあとはドリフのテレビや、スティーブ・マックィーンの映画なんかも見たかと思う。

中学時代に好きなアイドルは誰だったか知らないけど、ワタシは山口百恵ちゃんでした。

皇族の方なので、自分で買いに行くのは難しいけれど

学校のトモダチからエロ本を借りたこともあったかもしれない。

高校時代には旺文社や進研の全国統一模試を一緒に受けたはずで、

場所は違えど、同じ時間に同じ数学の問題に取り組んでいた可能性は高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシには同い年の女の子のイトコがいて、

実は、彼女は学習院初等科で徳仁親王、当時は浩宮さま、の同級生だった。

運動会とか、マスコミの取材が大変だったそうだ。

親戚の中では、将来のお妃になったりして、なんて冗談もありましたが、

御縁はなかったようで・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、一家の長男で、弟がいる点も同じ。

我が家は祖父も父も医者だったので、

何となく、医学部に入らねばならいのではないか、

というプレッシャーも、ちょっと似てるかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、子供のころ、何かにつけて、浩宮さまに抱く感情は、

「大変だなあ。オレは天皇家の長男に生まれなくて良かった。」

ということであった。

別に、医者にならなくて好きな職業についてもそれは構わないわけで。

いっぽう、浩宮本人的には

「なんで、オレはこんな家に生まれちゃったんだろう。」

と思った事が、ゼッタイあると思う。

子供のころから大きくなったら何になりたいか、

なんてことは折に触れ考えるものだが

全国の同学年の男子で、将来天皇になりたいやつ、なんて

多分ゼロだったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特に、中学、高校あたりになると、ワレワレの世代は特に

大人社会に対する反発や、親に対する反抗心が芽生えるものである。

徳仁親王もいろいろ悶々とした事があったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でもそんな中で、ガンバレ、と同級生として

心の中でエールを送っておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、うれしかったのは結婚が決まった時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じような意味で、皇后になりたい女の子なんて、

たぶん限りなくゼロに近いので、

果たして浩宮くんは、結婚できるのだろか、と余計な心配をしておりました。

言っちゃあなんだけど、そんなにイケメン

(当時の言葉では「ハンサム」)、ってわけでもないしなあ。

もし結婚できるとしても、家柄の良いブサイクな女性であろう、カワイソウに、

と思っていたので、美人の雅子さんとの婚約が発表された時は

おー、やったぜー、ホント、よかったねー、おめでとう、

と、これも心の中で快哉をあげました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、結婚8年目に待望の赤ちゃんができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雅子さまが、愛子さまを出産されるとき

ワタシの大学時代の同級生の産婦人科医の定月さんが

東宮職御用掛として、雅子さまの侍医を務めたので、

これまた、シンパシーがあるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、雅子さまがストレス(イジメ?)から

「適応障害」といわれたときも、大変心を痛めておりました。

ガンバレ、お前が助けるんだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、即位された天皇陛下はオレと同い年なので59歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 厚労省の最新の調査では60歳定年の企業が全体の79.3%、

1000人以上の企業では実に90.6%が60歳が定年だという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシの友人でも60歳の定年で病院を辞めたものもいて、

世間一般には59歳といえば、いままで仕事頑張ってきたけど、

そろそろ引退、のんびり悠々自適の老後を考えようか、

という発想が出てくる年代なので、

この歳から、本職の天皇職に就職する徳仁親王は、またこれ大変だなあ、

とつくづく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、ご挨拶に立たれた陛下のお姿を見て、

頑張ってねー、と、またエールを送りたくなりました。

何より、雅子さんの笑顔がステキでしたね。

お二人の国内外での、ご活躍を期待しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.05.02

平成から令和へ~明仁陛下

 天皇が譲位し上皇となり、平成が終わり令和が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平成天皇とは崩御後に呼ばれる呼称であろうから、

旧天皇、現上皇陛下のことですが、

実に立派な人物であったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 NHKで天皇陛下についての4集にわたる特番見ましたが、

改めてそう感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生まれたのは昭和8年、ということは

少年時代は日本が急速に軍事国家になってゆく時代。

太平洋戦争が始まった昭和16年には8歳で、

ゆくゆくは自分が、

今まさに米英と戦争中である

この大日本帝国の陸海軍を統帥しなけれなばならないわけで、

そのような意識が次第に培われ、

かつ、周囲もそのような教育を徹底的に刷り込んでいったと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、敗戦は10歳の疎開先で知ることになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんどは、わが身が今後どうなるか。

10歳の明仁少年が

とてつもなく激しい不安と恐怖にさいなまれたことは

想像するにあまりあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、明仁親王は聡明で、また高潔な方であった。

天皇制そのものが議論される戦後社会にあって、

皇太子時代から

自分のなすべきこと、自分の生き方を

周囲の意見や、皇室の慣習ではなく

自分の考えで決めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お妃も初めて民間からめとられたわけですが、

なんといっても、一緒にテニスやった女の子のことが好きになっちゃって、

プロポーズして、結婚しちゃうなんて、今でもステキなのに

当時の時代背景で考えたら、もう、カッコ良すぎますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生まれた子供を、自分たち夫婦のもとで育てる、というのも、

それまでの皇室の慣例に反することでした。

自らが2歳から親元から離れされて育てられたことに対する反発かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 55歳で即位されてからは、どこまでも国民のため、

日本国民の「象徴」として自分ができることはすべてやる、といった様子でした。

64年間という、長い父昭和天皇の在位期間中に、

いろいろ考えられていたことだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とくに太平洋戦争の戦争責任と、世界平和への希求は、

上皇陛下が、もっとも心を砕いていたところでしょう。

沖縄や、中国、サイパンなどへの訪問、

特に沖縄には皇太子時代には火炎瓶を投げつけられる

などの事件があったのにもかかわらず繰り返しご訪問され、

サイパンでは自らの意向で韓国・朝鮮人慰霊碑にも立ち寄ったといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 譲位の意向を示されたのも、自らのことよりは、

自分が長く在位しては、皇太子の天皇としての仕事が十分できないので、

といった思いもあったのではないでしょうか。

上皇陛下が即位されたのは55歳でしたが、

今回の天皇陛下はワタシと同級なので、59歳で即位、ということになります。

この辺も、古いしきたりにとらわれず、

現在の情勢に合わせて、改善すべきところは改善する、

という陛下の明確な意思が感じられて大変好感が持てます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とくに、譲位のお言葉の際に、

平成という時代が、日本に戦争が無い時代で本当に良かった、

というくだりで、感極まって声がやや上ずったのが印象的でした。

陛下は、戦争のない平和な時代、ということに対し、

日本中の誰よりも深く望んでいるのだと思います。

政治家たちに爪の垢でも煎じて飲ませたい感じです。

ノーベル平和賞とらないかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、この方が日本の象徴で良かった。

このような立派な天皇をいただけたことは国民として誇りに思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 業務と、責任から解放され、

まだまだお元気で

上皇后さまとラブラブな日々をお送りいただきたいものだと思います。

このカップルも「日本の象徴」たるにふさわしい

本当にステキなご夫婦です。

 

 

 

 

 

 

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