ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2018.07.06

ブラックペアンの時代

先日講演を聴いた海堂尊氏ですが、

その時ちょっと書きました「ブラックペアン」原作につきまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、ワタシ、氏の著作を読んだことがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、本は持ってて「チームバチスタの栄光」買ったのはもう数年前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともと「宝島社」の「このミステリーはすごい大賞」は注目していて、

受賞作はけっこう読んでましたんで、この作品も面白そうだと思い即購入したのだが、

あまりに面白そうなのであとで読もう、と思ってるうちにどっかいっちゃった、

という経緯でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際に原作を読むと、

エンタテインメント性に富んだ、ある意味荒唐無稽なミステリーの要素を持ちながら

きちっと読者を納得させる設定、筋道になっており、

やっぱドラマはドラマ、小説は小説、という感じでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 講演で氏が述べていましたが、

ドラマの脚本は、登場人物のキャラ設定を除けば一切テレビ局におまかせ、

だったそうです。

ふーん、そういうものなのね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラマを見ていて予想はしていましたが、このオリジナルは、

過去の手術で術中出血を止めるために

やむなく「故意に」術野に残したペアンをめぐるストーリーが根幹で

それに、テレビ版の脚本でいろいろなエピソードが追加されていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作の物語の設定は「ブラックペアン1988」とあるように、

1988年、つまり昭和63年が舞台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なので、テレビドラマで出てくる「ダヴィンチ」を模した

「ダーウィン」「カエサル」のくだりは、当然、ドラマのオリジナル。

1988年当時にロボット手術機器はありませんからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラマでは心臓外科だったのですが、原作は消化器外科。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで、だいぶリアリティが増します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 専門ではありませんが、心臓の手術でペアンを残すのは何となく違和感が。

診察でなくても、検診、ドック、術前検査等で胸部レントゲン撮る機会は極めて多いので、

見つからないまま何年も経過するってのはムズカシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腹部に残したペアンは、通常胸部レントゲンしか撮らない

検診やドックで発見されることはないでしょう。

でも、飛行機の保安検査場は通れないかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手術支援機器「スナイプ」は出てきますが、

消化器外科なので、ドラマで心臓弁置換装置だった「スナイプ」は

小説では遊離空腸の縫合器になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海堂尊氏は1961年生まれ。

ワタシは1959年5月生まれ、1年浪人してまして、昭和60年に医者になっています。

どうも海堂氏は一浪、一留(!)らしいので、早生まれかどうかで変わってきますが、

計算すると、昭和63年ころに医師国家試験を受けたのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、昭和63年入局の研修医世良先生の視点は、

ほぼ、海堂先生ご本人の視点と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、昭和60年入局のワタシ、61年入局のワタシの妻とも極めて近いわけで、

病院、科は違えど、同じ地方国立大学、同じ外科系、ということで、

すごくナツカシイ「あるある」がいっぱいで、そこ大変楽しめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医師国家試験が4月初めにあり、

その後、約1カ月の間を置いて5月の連休明けから、大学病院の勤務が始まる、

というスケジュールもワレワレと同じで、

その約1週間後に国家試験の合格発表があり、

落ちたものはひっそり病院から去る(!)、というのも当時の群馬大と一緒です。

今は国家試験は2月にあるようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小説の中で北海道で大きな外科学会があり、

製薬メーカーの接待でエビやらカニやらたらふくごちそうになるというくだりは、

実は身に覚えがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和61年の5月に日本耳鼻咽喉科学会総会が、

北大の主幹で札幌で開催されました。

日耳鼻総会は耳鼻咽喉科の最大の学会ですが、

この年は開催地が観光都市札幌とあって注目度はひときわ高かったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入局2年目のワタシと、その年新入医局員のワタシの妻は

(当時はまだ、交際してません)

大勢の先輩教室員とともにその学会に参加しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、札幌で3泊したわけですが、

連日連夜、入れ代わり立ち代わりの各製薬メーカーの接待攻勢はすごかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1986年といえば、バブル真っただ中。

医者は、バブルの恩恵を受けないので、

大学病院研修医の給料は手取り10万に満たない薄給でした。

ところが、その一方、サラリーマンや企業はイケイケの時代。

なので札幌の夜は毎晩のようにエビだ、カニだ、シャケだの北の幸のてんこ盛り。

ビンボー研修医にはありがたすぎる、タダメシ、いただき放題でした。

一方製薬会社のMR(当時はプロパーさんといった)にしても、

ここぞとばかり会社の金でイイ思いをしたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今は、そういった接待が禁止されているので

そのようなことはまったくなくなり、どこの学会に行こうが、

メシはいっさい全部自腹ですが、かつてはそんな時代もあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古き良き時代・・・・・・( ̄ー ̄)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっと、海堂先生も新人のころ、そんなことがあったんでしょうね。( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、これから遅ればせながら海堂作品をすべて読んでみることにします。

 

 

 

 

 

 

 

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