ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2017.06.17

足利西駅

 

 先日あしかがフラワーパークの記事を書いたが、

このたび、両毛線にあしかがフラワーパークのための「新駅」ができるそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このご時世に「新駅」とは、極めて異例。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも山手線にできる予定の新駅とは違い、

1日の利用者も電車の本数もチョー少ない田舎のローカル線である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その話を聞きフト思い出したことがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両毛線の「新駅」ではなく逆に無くなった「廃駅」の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たしか、ワタシが子供のころ両毛線には「足利西」という駅があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通称「西駅」であり、ワタシの通学する小学校

(西小学校、これも廃校になった)の学区内にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い立って、記憶を頼りにそのあと地を訪ねてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古い街並みの狭い道路を進んでいくと、不自然に広い通りがあり。

ああ、ここが駅前の通りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広場の向こう線路が臨め、ここが旧国鉄両毛線の「足利西駅」であった。

線路の向こう側には新しい住宅が建っているが、

当時は少なくとも住宅はなく、工場かなんかだったような気がするなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調べると「足利西駅」は1954年10月開業、1968年10月営業を停止している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1968年の営業終了は両毛線の電化に伴うもので、

ワタシが9歳、小学校3年生の時のことであったわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ココは栄町、

このかいわいに友人も多くよくこの駅前公園で遊んだ。

当時は、子供が多く、この広場もいつも子供たちでいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この水飲みはいつからあったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足利には国鉄両毛線と私鉄の東武伊勢崎線が通っているが、

東武線は昭和2年に全線電化されているので、

ワタシが子供の時分は「電車に乗る」とは「東武線に乗る」こと、

「汽車に乗る」とは「国鉄に乗ること」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東武線は浅草―足利市間が明治40年の開業、

両毛線は小山―足利間が明治21年の開業であるが

当初は「両毛鉄道」という足利と小山を結ぶ路線がのちに国有化されたものであるらしい。

当時の足利市の繊維工業製品を輸送することが主たる目的だったわけで、

かつての足利の繁栄をしのばせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけで「ブラタモリ」ならぬ「ブラオググ」でした。

 

 

 

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