ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.08.07

資生堂パーラー


 修理に出していた万年筆が直ったとのことで、
妻と東京に行く用事のあるときに、銀座伊東屋まで品物を取りに行った。
 せっかくだからお昼食べようとのことで、ランチを摂ることに。
 妻の希望で「資生堂パーラー」に行くことに相成った。
 そもそも私は「和食党」しかも「粗食党」なので、
定食屋や大衆食堂、牛丼ファーストフード大好きなのだ。
 だから、「高級レストラン」は苦手なのだが、
まあ、「フレンチ」ではなく「洋食屋」なので、いいか、ということで、
妻のリクエストに答えた。
 洋食屋といっても、一皿1万円以上のカレーライスがメニューにある店なので、
なかなかに「高級」だ。
 頼んだのは、ビールとサラダと「名物」オムライスだけど。
このオムライスも2800円だったか。
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 薬味の福神漬やラッキョウの容れ物も「威圧感」がありますね。
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 実は私はすっかり忘れてたのだが、妻が明かした事実。
 かつて、結婚前、ということは今を去ること20年ほど前。
 我々2人は銀座でデート(?)の後、この資生堂パーラーに入ったのだという。
 改装前の今とは違う店だが、やはりランチを食べに入ったのだ。
 しかし、メニューを見てあまりの値段の高さに、
ソーダ水だけ飲んで出てきたそうな。
 そういえば、そんなこと、あったかもなあ。
 何とも、ナサケナイが、
 あの頃は、金、無かったからなー。
 やっとこの歳にして2800円のオムライス、食える身分になったか。
 しかし、隣のテーブルの、20代半ばと思しきカップル、
一人5400円のランチコース、食べてたぞ。
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2010.08.06

夏に増える耳鼻科の病気


 一般に耳鼻科は夏はヒマな科なのだが、
2つだけこの時期に増加する耳鼻科の病気がある。
 一つは慢性中耳炎、もう一つは外耳炎だ。
 どちらも、耳の外から感染が起こるので、
同じような時期に増えるわけだ。
 急性中耳炎は鼻からの耳管を経由した感染なので、
別にプールや海に入ったからなる、ということは無い。
 ところが、慢性中耳炎は鼓膜に穴があいてる状態なので
普段は乾いていても、プールやシャワーなんかで水が耳に入ると、
感染をおこし、耳だれが出ます。
 夏場は汗かくことも多いので、その辺から感染する場合もある。
 まあ、これはある程度ショウガナイ。
 一方、外耳炎も外耳道経由の感染だが、
ただ、普通に耳が水が入っただけでは、
外耳道に感染をおこすことはまず無い。
 この原因は90%以上が「耳かき」「耳そうじ」です。
 そもそも人間の耳は掃除する必要ない。
 耳かきでも綿棒でも耳そうじによって外耳道の皮膚はダメージを受けます。
 それは、外耳道には皮下組織、すなわち脂肪や筋肉などのクッションが無いから。
 しかも皮膚の上にはもともと「細菌」が常在するわけで、
そのダメージによってそれらが繁殖しやすくなるわけです。
 まあ、硬い地面には草は生えないが、耕すといっぱい雑草が生えてくる、ってイメージだ。
 なかなか、この辺誤解していらっしゃる方が多い。
「耳そうじしてますか?」
 と訊くと、胸を張って、
「一生懸命、毎日お掃除してますよ。」
  
 などと言うヒトがいる。
 まるで、
耳そうじを怠ってたみたいに思われるなんて、心外だなあ、
 という感じで。
 それがダメなんです。
 しかも、毎日のごとく耳そうじすると、だんだん知覚がマヒしてくる。
 耳の半分から奥は、痛みの神経がいっぱいで、
鼓膜なんかは触っただけで飛び上るほど痛いものだ。
 もちろん、損傷を避けるためで、鼓膜破けちゃうとマズイので、
「痛くしてある」わけだ。
 これが耳そうじによって、だんだん鈍麻してしまう。
 鼓膜やその近辺を処置しながら、
「ここ、痛いですか?」
 と訊ねると、誇らしげに
「いやいや、全然。気持ちいいくらいですよ。」
 と、余裕のスマイルで答える人もいる。
 それが、ヤバいのよ。
 そういったヒトビトに、
もう耳そうじは一生禁止です、というと、
多くは
「私から耳そうじを取り上げるなんて・・・・。
   人生の楽しみを返して。」
 などという反応を示しますが、
 ダメなものはダメなのだ。
 でも毎年夏になると、
「先生にダメって言われてたんですが、・・・・・また、やっちゃいました・・・・。」
 と、同じ患者さんが来るんだなあ。
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3件のコメント
2010.08.05

早起きのご褒美


 夏になり、暑いので朝の犬の散歩も30分から1時間スタートを早くした。
 早い時間に行くと思わぬものに遭遇することがある。
 先日、羽化中のセミを発見した。
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 なかなか見ることのできない神秘的な光景だ。
 何で、こんな間近で見られるかっていうと、
この下は御覧のように2メートルちょっとある崖になっている。
セミ君はえっちらおっちら上って来て、
もういい加減上っただろうと思ったら、わずか地表30センチだったという。
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 実は、発見した時はカメラを持ってなくて、
あわてて犬ごと家までとってかえし、カメラを持って戻って撮影、だったわけだ。
 最初見た時はは羽根はまだ丸まっていた。
 それにしても、この時は危ないですね。
いかにも無防備で、鳥やなんかの格好の餌食になりそうだ。
 だから羽化の時は危なくてウカウカしてられない。
(って誰がオヤジギャグをかませと言った?)
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 私はしばらく見ていたが、レディアの方は不満だ。
 一度家に帰って、さあ朝飯だと思ったらまたすぐ引き出されて、
今度はなかなか動かないし・・・・。
とうちゃん、何やってんだよー。
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 そんなわけで、飛び立つまでは見届けられなかったが、
翌朝、「抜け殻」だけが残ってたので、鳥やアリなどにもやられず、
無事羽化に成功したようだ。
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 じゃあ、ひょっとして、ここで啼いてる、こいつかなあ。
(ちょっと見にくいけど、赤矢印の先にミンミンゼミがいます。)
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 他の夏を知らないキミにはわかるまいが、
今年出てきたのは「アタリ」なのだよ。
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2010.08.03

ビキニと長門~負の遺産、その2


 昨日、浦和レッズの「負の遺産」なんて記事を書いたら、
テレビでびっくりするようなニュースを目にした。
 ご存知のかたも多いでしょう。
 あの「ビキニ環礁」が世界遺産に登録されました。
 美しい太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁は
世界自然遺産ではなく世界文化遺産として登録されたのです。
 1946年のアメリカの原爆実験によって、
美しい南の島は破壊されました。
 第2次世界大戦後の冷戦の開始を告げる出来事でした。
 それから、66回にわたり核兵器の実験が続けられたという。
 そのうち1954年の水爆実験で日本の第5福竜丸はその「死の灰」をあび、
原水爆禁止への更なる運動のきっかけともなりました。
 避難の指示が無かった付近の島民も多く亡くなったり、白血病等を発症した。
 ビキニ環礁の島民は、強制移住させられ、
いまだに帰島できない状況だという。
 1946年の実験では艦船に対する威力を調べるため多くの艦が爆心地に浮かべられた。
連合国の戦艦アーカンソーや空母サラトガなどの退役艦とともに
連合艦隊の象徴とも言える戦艦長門も沈んでるんだよなあ。
 そのほか、戦後復員船として働いた軽巡酒匂とか、
ドイツの重巡プリンツ・オイゲンも確か一緒だった。
 子供の頃、アーカンソーや酒匂などは一瞬で沈んだが、
長門だけは数日間浮いていた、という記事を読んで、
大和より長門が好きなオレとしては、やっぱ、長門はすげえ、と思ったものだが。
(爆心地からの距離の関係もあったらしい。)
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 ともかく、おろかな原水爆の開発競争に対する、
「戒め」としての「負の遺産」なわけで、
人類が、これを再び認識するのはおおいに意味がある。
 しかし「遺産」という言葉に「歴史上の過去のもの」
という、ニュアンスが汲み取れるとすれば、
現在も核を保有する大国が世界を牛耳り、
また核開発をもくろむ国々が地球上に存在する以上、
この「遺産指定」がちょっとビミョーと感じてしまう。
 ところで、この「ビキニ環礁」のビキニが、
水着の「ビキニ」の語源だって知ってる人、意外と少なかったりして?
(我々もと軍艦オタク少年の間では常識なんですが。)
 ビキニは、そのデザイナーが水着発表直前にあった原爆実験をイメージして、
それくらい「爆発的にインパクトがある」という意味で命名した、
けっこう不謹慎なネーミングなのです。
(「ヒロシマ」とかだったら、どーすんだ。)
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2010.08.03

負の遺産


 そんなわけで、埼玉スタジアムに行かず、
新宿で飲んでた私。
 同窓会ではトモちゃんに、
こんなとこで飲んでちゃダメじゃん、
と言われちまった。
 もちろん、ひそかに下着は「浦和レッズパンツ」はいてたのだが。


 2010年J1第16節
   浦和レッズ    0-1    大宮アルディージャ  (埼玉スタジアム2002)
       (前半   0-1)
       (後半   0-0)


 録画で見て・・・・
 うーん、書きたくない。
 一応、レッズの公式戦については、
すべて記事を書いてるので、今回も避けられないのか・・・。
 いや、別に誰と約束したとか、
どこと契約したとかいうわけではないので、
書こうが書くまいが勝手ちゃあ勝手なんですけどね。
 しかし、まあ、現実は直視せねば。
 0-1で負けてて、大宮の選手が退場したとき、
普通なら、ラッキー、勝てるぞ、と思うものなのだが、
多くのレッズサポの心中には、
いやな予感が芽生え始めただろう。
 かつての数多くの「思い出したくない過去」というか「苦い経験」というか。
 しかし、いったいこのチームはこの手の「負の遺産」が多すぎだな。
 連敗ストッパーとか、
 ロスタイムの失点とか、
  3-0からの逆転負けとか、
  トーナメントで格下相手に不覚とか・・・・。

 0-1や0-0の場面で相手が退場して、
あまりいい思いをした記憶が無い。
(FC東京とのナビスコ決勝とか2007年の鹿島戦とか・・・・・。)
 しかし、点差や人数や時間帯が変わっても、
攻撃のパターンがずっと同じ、ってのは問題だ。
 相手も攻められ慣れてきちゃうし。
 パスサッカーもいいけど、膠着したら
ミドルをバンバン打つとか、
前線に高い選手を入れて、アーリークロスを入れてみるとか、
変化や工夫がないとなあ。
 攻めてる時間の割にシュート数も少なすぎ。
 ともかく、ドン引きされたら、パスできれいに崩してシュート、
ってのはかなり難しいから、
ともかく打ってみれば、跳ね返ってチャンスになるかもしれないし、
誰かに当たって入るかもしれないし。
 今回も予感どおり(?)になり、
また「負の遺産」に、実績が加わった。
 最下位には勝ったけど、その1個上にはもう勝てない、
ってんじゃあ、3位以内どこじゃないですね。
 トモちゃんのご主人、スタジアムから無事お帰りになられたでしょうか・・・・・。
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4件のコメント
2010.08.02

同窓会2010夏

 先日は、我々群馬大学昭和60年卒の「非公式」同窓会でした。
 我々の同窓会は一応「六和会」なんて、もっともらしい名前がついてるが
運営はかなりアバウトだ。
 先月、私の妻の同窓会が前橋であった。
 妻は同じ大学の一級下の学年だが、
同窓会の連絡は1年以上前から数回にわたって案内があり、
当日は、来られないヒトの近況報告から全員の連絡先まで網羅した資料が渡され、
おまけに当日の会の模様を記録したDVDが、即日焼きでお土産についたそうな。
 まあ、そっちは「公式」だが、こちらは「非公式」なので基本「飲み会」なのだが、
それにしても、去年などは、10日くらい前に突然電話があり、
いついつ空いてる?などといきなりなアポをとられた。
 今回は2~3か月前にメールがあったが、
その後連絡が無く、数日前に電話があって、
「オグラ、でるんだっけ?」。
 場所と時間を聞いたら、去年と同じ、もうメンドクサイからずっとそこ、
というなげやりな返事だった。
 えー、去年、どこだったんだっけ?
 しかし、あとで確認したら、第2弾のメールが実は届いてて、
私が開封しそこなっていた。(スイマセン・・・・・。)
 昨年とはビミョーに異なるメンバーが集まった。
 会場は去年と同じ「何でもアルコール飲み放題コース」。
「へー、ナカムラ、今何やってんの。おれ同級生のサイトウだよ。」
「知ってるよ、当たり前だろ、同窓会なんだから。」
サガミ「・・・おれがあいさつしてるの聞けよ。」
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 カズモトともちゃんのダンナはレッズサポで今日も埼スタ行ってるという。
「ダメじゃん、オグラ君、こんなとこいちゃあ。」(スイマセン。)
「ヤマグチです。脳外科なのでアタマ大きいです。」
(いや、そんなことは言ってなかったけど。)
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 ピンクのヒトは大工の棟梁みたいだけど、
「おっぱい専門」のうらやましいクリニックをやってるスガマタです。
オクデラ君、店員のお姉さんをナンパしないように。
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 ナゼカペンギンのポーズのナカムラ氏。
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 このヒト、当ブログにもたびたび登場の、皇太子妃の主治医だったミユキちゃんです。
手前マツカワ教授「お、おいしそうだねえ。いっただっきまーす。」
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 相変わらず良家のお嬢様っぽいキョーコちゃんです。
マツカワ教授「うんうん、こりゃうまいわー。(ぱくぱく)」
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 こちらオオツカ教授。「いや、いや、わたしなんて、まだまだ。」
マツカワ教授「あー、おいしかった、トイレトイレ。」
おい、マツカワ!
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 不妊外来をやってるイトウ君のおなかは、妊娠希望の女性患者さんにとって、
羨望の的であり、プレッシャーの源であろう。
 手前、何とまだ0歳児の父だったりするヤスハラ君と、
奥は、もとイリタマことイリサワタマキ、今はワカタマさんですね。
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 アナーキーな元軽音楽部コンビ、イシダ、オグラとそれをクールに垣間見る元バドミントン部のイデ隊員。
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 そして、残ったメンバーは2次会で、さらに居酒屋で、飲みまくる。
まだ、飲むのかよ。
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 ナゼカ、横顔だと真面目なイシダ君。
 サノ君の頭はズラではありません。
理科の実験してるみたいです。
10パーセントの水溶液を作っています。
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 ってなことで、今度は「公式」な会もやるって言ってたけど。
 どうなることやら。
 
 東京支部幹事のサノ君、みゆきちゃん、ご苦労様でした。
 またよろしく。
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2010.08.01

8月2日のメモリー(最終話)


 前々々々回の続きです。
順番にお読みください。
 フェリーでの一夜が明け、広い船室の中でも次第に人々が起き始めた。
 夏休みなので大広間に雑魚寝状態の2等船室は
ほぼ満員状態だった。
 そこかしこで、グループや家族連れが、徐々に荷物の整理などを始めていた。
 さて、もうすぐ九州か、と思った頃、
ざわつく船内に呼び出しの放送が流れた。
「前橋からお越しのT内様、お電話が入っております。
船内受付までお越しください。」
「あれ、今、前橋って言ってた?」
「えっ、T内ってことはウチらのこと?」
 良く耳を澄ますと、やはり我々に対する呼び出しだ。
「なんで、ここまで電話が。」
「事故の件で、警察かなんかから自宅に連絡がいったんじゃないの。」
「ああ、そうかも。」
「心配ないって言っとけよ。」
 仲間の声を背に、T内君は一人で船内受付に向かって行った。
 そして、数分後、帰って来たT内君の顔は真っ青だった。
「おお、どうだった。」
「それが・・・。」
「なんだよ、帰って来いってか。」
「いや・・・、それとは関係ない。」
「じゃあ、どうした?」
「みんな、落ち着いて聞いてくれ、昨日、H田が死んだ。」
「死んだ?H田って、あの、サッカー部の?」
 なんと前橋からの電話は同級生の突然の訃報を伝えるものだったのだ。
 話によると、H田君はこれまた同級生のU波君と、
 谷川岳に登山に行っていたそうだ。
 登山の得意なU波君と二人で登山中、岩場で滑落。
 頭部を強打して即死に近い状態だったらしい。
 「昨日の、ご、午前中か。」
 
 「ああ、そうらしい。」
 昨日の午前中といえば、
オレたちが事故った時間と何時間も違わない。
 「・・・厄日だ。」
 誰かがつぶやいた。
 まかり間違えば、その日、オレたちを含め、同級生一挙4人が死んでたかもしれなかった。
 前日の事故の後、死んでたかも、といいながらも、
それほど重くは受け止めていなかったオレたちに、
そこにあった死への可能性が、急に現実的なものとして実感された。
 人間の生死の危うさを肌で感じ、我々は背筋に冷たいものが走る思いだった。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 あの夏から、27年。
 そんなわけで、今年もやってくる8月2日。
 毎年、この日が来る度に、生と死について考え、
また、不慮の死を遂げた同級生の冥福を祈る気持ちがよみがえる。
 そしてまた、オレたちは、医師への道半ばにして夭折したH田君の分まで、
精一杯、医者としてのつとめを果たさねばと心に思うのだ。
 今年も、あの年みたいな暑い夏だ。
       ~完~
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