ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.06.16

ワールドカップの裏側で

 昨晩は騒ぎすぎた。
 カメルーン戦の勝利から一夜明けて、
今日は忙しいぞ。
 午前中の外来はレーザー手術が入ってるし、
なんといっても昼休みは学校健診。
 今日はほぼ男子高校生ばかり320人。
 昨年までは300人欠けてたのだが、
今年は入学者が多かったという。
 全く休みなしに手と口を動かして、3時ぎりぎりまで。
 すぐ取って返して午後の外来。
 そして、終わり次第、フットサルのため佐野に向かう。


  おぐじびフットサル ワールドカップ記念
  おぐじびレッドダイヤモンズ    3-2    田所ジャイアンツ  (佐野市フットエナジー)


 レッドダイヤモンズと言いながら、今日は「オランダ」のレプリカ。
 日本代表のレプリカの「ヒデ長崎」と、
今週末のワールドカップ前哨戦をやりたかったのだが、
グーパーで同じチームになってしまい
はからずも、日本・オランダ合同チームになった。
 じゃあ、相手はカメルーン・デンマーク連合軍か。
 パレスチナのヒトもいるみたいだが。
 キーパーのヒトはアフリカのニオイがしなくもない。
 ショーグン小峰は、お通夜だから、と欠席だが、
ことによると、この後の「ブラジル対北朝鮮」に 国賓 として臨席するのかも。
 試合はワールドカップの熱狂をそのまま持ち込んだというには程遠く
暑さと湿度と運動不足で低レベルのプレーが続く。
 そんな中、やけに元気なのが「癒し系」ならぬ「モヤシ系」の男、「モヤシメガネ」。
 やはり、「モヤシ」的には高温、多湿、日光の無い梅雨時の方が、生育がいいのか。
 
 今夜最大の見せ場は、
ディフェンスの裏に完全に抜けてキーパーと一対一になった「パレスチナ塩野」。
 なんと、シュートを打つ前にダイビング。
 ゴール後のパフォーマンスを先にやっちゃったのか、
はたまた、意味なしシミュレーションか。
 いや、ドリブルで持ち込んでフィニッシュはダイビング・ヘッドで、と思ったのかもしれぬ。
(そりゃ、無理だ。)
 とりあえず、日本とオランダが組めば、カメルーン、デンマークに勝てることがわかった(?)。
 最後は日本代表の岡田監督を囲んで1枚。
岡田監督、カメルーン戦の勝利で、それまでのバッシングの嵐が
一夜にして「岡田ジャパンサイコー」に変わったため余裕のVサイン。
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 「味噌ラーメンにメガネ落とさないでくださいね。」


 おまけ。
 試合後、居酒屋での打ち上げの場面。
 「シャクハチ松枝」改め、期間限定「ブブゼラ松枝」。
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「オメエ、そのカッコ、まるで審判じゃん?」
 というオグラの不用意な発言が「主審に対する侮辱」と取られレッドカードをもらってしまった。
(やっぱ、審判じゃん。)P6160005_convert_20100616145749.jpg
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2010.06.15

祝・日本代表ワールド・カップ、アウェイ初勝利!

 梅雨入りした関東甲信越。
 さあ、その梅雨空を吹っ飛ばすぞ、
と、そんなに気合が入ってたわけではない。
 しかし、この数日考えるに
このE組で勝つとすれば、カメルーン戦しかない
という思いが増してきたのは事実。
 んでもって、よく知ってるお店のママに、定休日なのに無理に店を開けてもらって
「なんちゃってスポーツカフェ」化した。
P6140095_convert_20100615072024.jpg
 この一角、平均年例は高い。
 P6140094_convert_20100615071929.jpg
 中には、よくわかってないヒトも
「今日の相手、知ってる?」
「ええーと、カメ?、カメ、カメ・・・?」
P6140093_convert_20100615072207.jpg
 かめはめ波じゃねえぞ。
 この「タオマフ(タオルマフラー)」の事を「バスタオル」といった奴がいる。
P6150098_convert_20100615071645.jpg


 ワールドカップ南アフリカ大会 予選グループE
   カメルーン代表     0-1      日本代表   (フリーステートスタジアム/ブルームフォンテン)
        (前半     0-1)
        (後半     0-0)


 試合は、代えてきたメンバーが、まさにハマった感じ。
 今までのテスト・マッチは何だったのか。
 ゴールシーンはセンターに相手ディフェンダーをひきつけつつ
クロスをファーに振るという、カメルーン対策のシナリオ通り。
 一旦先制したからは、あとは守れ守れ。
 解説の山本さん
「先制してから逆点負けしたのは、前回大会では日本だけなんです。」
 おおおお、そうだったのか。
 試合が進むにつれ、声援も盛り上がり、オヤジの怒声がとびかう。
 カメルーンの攻撃が次第に前がかりになる。
 日本は守備の時間が長くなる。
「(もっとボールを持った相手に)寄せろ。」
「(ボールを奪ったら早くラインを)上げろ。」
「寄せろ、寄せろー。」
「上げろ、上げろー。」
「寄せて、上げろー。」
「・・・巨乳じゃなくて、悪かったわね。」
巨乳コンプレックス(?)のママに怒られてしまった。
「いえ、そうではなく・・・。」
 そして4分のロスタイムも乗り切って、初戦勝ち点3をゲット!
「うっしゃーーーーーーーー!」
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 さて、次行くぞ!
 待ってろ、オランダ。(にわかに強気)
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2010.06.12

祝・ワールドカップ開幕


 ついに始まったワールドカップ。
 これから一ヶ月は仕事どこじゃない?
 ワールドカップを初めて知ったのは1970年のメキシコ大会。
 当時小学生でサッカースクールに入っていた私は、
少年雑誌でワールドカップの紹介記事を読んだ。
 そこでワールドカップがオリンピックよりはるかに大きなスポーツイベントであることを知り、
ペレという天才プレーヤーの存在やブラジルがサッカー大国であることなどを知った。
(アメリカはサッカーでは弱小国である、という記事を読んでなんだかすごくうれしかった。)
 メキシコのアステカサッカー場が世界最大のサッカー場で
観客が13万人も入ると知って、ぶっ飛んだものだ。
(かつてのブラジルのマラカナンスタジアムは20万入ったそうだが。)
 試合は断片的に1974年のドイツ大会あたりからは見ていたが、
ワールドカップを多く見れるようになったのは
実は比較的新しく1982年のスペイン大会からだ。
 それまでは、ごく限られたゲームしかテレビ放送されなかったように思う。
 
 1990年のイタリア大会からは放送のメインがBSになったので、
それに合わせてアパートに初めてBS受信機を導入、
自分でベランダにアンテナを取り付けたものだ。
 全試合、生中継で見れるようになるなんてスゴイことですね。
 それより、こんなすごい大会に日本が出てることが、
いまだにピンとこないです。
(もう、かれこれ4大会目になるというに・・・)
 開幕戦の南ア対メキシコ、そしてウルグアイ対フランス。
 ともに引き分けでグループAは混戦模様です。
 そして、月曜日はいよいよ日本のゲームが。
 フランスはまだあのドメネクが監督やってるのも不思議だが、
(今だに星占いで選手選んでるらしい。)
日本の監督はもっと心配?
 これは、先日、通りかかった銀座のソニービルのとこの看板。
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 いや、ホント、あんまり変な意味で世界を驚かせないでね。
(連続オウンゴールとか・・・。)
 月曜日は、近くのお店で「ワールドカップを見る会」をします。
 サッカー好きの方はご一報いただければ詳細をお教えします。
 一人で見ると落ち込むからみんなで応援しよう。
(って、負けると決めてる?)
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2010.06.11

良くも悪くもなく

 水曜日の横浜、当初は絶対行くつもりだったが、
前節、清水が勝ったことによって、予選勝ち抜けが消滅したので、
スカパー観戦にしちゃいました。
 なんとなく、内心、忸怩(じくじ)たる思いが・・・・・。


 2010年 ヤマザキナビスコカップ予選B組 最終節
    横浜Fマリノス    0-0    浦和レッズ     (日産スタジアム)    
          (前半   0-0)
          (後半   0-0)


 消化試合と言うほど淋しい言葉は無い。
 しかも、勝っての「消化試合」ではなく「負けの消化試合」だ。
 救いは、相手マリノスがこの試合に勝てば他会場の結果や得失点差に関係なく、
決勝トーナメントに勝ち抜けることができるという点だ。
 しかも、ホームゲームである相手のモチベーションは高い。
(その割にマリノスサポの少なさが気になるが・・・・。)
 これが、湘南との最終ゲームじゃなくてよかった。
 柏木のヘッドなんかは、素晴らしい崩しで決まったかと思ったですけど。
 これが、ここんとこ「勝ち慣れてない」チームのノリなんですかねー。
 相手のモチベーションの高さによって、意外と面白い試合ではあった。
 マリノスの決勝トーナメント進出を阻止して、
「高木ブー」監督の悔しそうな顔が、見れたことは、まあ、良かった。
 なまじ、負けより、引き分けの方が相手の悔しさは大きいんだろうなあ。
 (ちょっと、この考えはネガティブに過ぎる。)
 
 しかし、明らかに平常心を失ってドタバタしてたマリノスから得点を奪えないのは、
消化試合といえども「消化不良気味」。
 さあ、ワールドカップでスカッと気晴らしをしますか。
(いや、もちろん日本戦以外で・・・)
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2010.06.09

カマキリ騒動

 最近我が家のお風呂場でちょっとした騒動があった。
 カマキリの赤ちゃんが大量発生したのだ。
 カマキリはご存知の方も多いと思うが、
「卵哨」と呼ばれる、ヘチマを干したような卵の「ケース」から
幼虫が孵化する。
 しかもその数、軽く百匹以上。
 カマキリはチョウや甲虫と違い「さなぎ」の時期を持たない「不完全変態」だ。
 しかも、セミやトンボと違いほぼ「完全」な「不完全変態」だから、
親とほぼ同じ形の赤ちゃんが生まれてくるのだ。
(ちなみに全く形態の変化しないものを「無変態」といい、これは「シミ」がその代表である。
「シミ」って虫、知ってるかなあ。
本の紙とかをなめるので「紙魚」と書きますが。)
 カマキリは「無変態」ではないが、親と違うところは翅の長さくらい。
 大きさは小ぶりの「蚊」の成虫くらい。
 線の細さも、ちょうど「蚊」とそっくりだ。
 でもちゃんと三角の頭があって、両手にカマがあって。
 これが、可愛いんだわ。
 思わず、老眼鏡かけたくなるくらい。
 しかし、お風呂場では溺れちゃうので、
発見者の妻がビニール袋持って一生懸命集めては窓の外に放していた。
 なにしろ、手でつかむとみんな潰れちゃうんで厄介なのだ。
 何十匹も「解放」したのだが、いまだお風呂に入ると何匹か壁にはりついてる。
 そのたびに見つけたヒトは慎重に指先に誘導して逃がしてあげるのだが。
 夕べも2匹、「脱出」させたぞ。
 しかし、こんなか弱い生命が、どれだけ生き残るのか。
 それこそ、チョウや甲虫類と違って卵の数が多い、ってことは、
魚やクラゲみたいに「淘汰される」確率を読み込んだうえでの赤ちゃんの数なわけですけど。
 でも、まあ、どんな生命でも、
少なくとも赤ちゃんには
生存にチャレンジする権利があるわけですから。
 親が変なとこに卵産むもんだから、子供は苦労だわ。
 がんばれ、ウチの赤ちゃんたち。
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2010.06.08

にゃんにゃん物語3

 ウチの「ネコズ」もすっかり家族の一員、いや三員だ。
 「シャム」ちゃんはイヌ小屋 ネコ小屋をすっかり自分の家に決めている。
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 「トラ」ちゃんと一緒に時には家まで侵入してくれる。
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 食事が終わると「トラ」ちゃんはベッドに。
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 またはハウスで「シャム」ちゃんと。
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 ところでわが町内には多くのネコがいる。
 正直、どれがノラで、どれが飼いネコか分かんないのだが、
ウチで餌をあげてるのはこの2匹+「かあちゃん」 の「仲良しファミリー」だけだ。
 例えば、これは我が家の「トラ」ちゃんに似てるけどやや色が薄い別のネコ。
「ニセトラ」 と呼んでいる。
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 某薬卸の「H君」の車におしっこをひっかけたのはこの「ニセトラ」の方だ。
 こいつは 「クロ」 。
「アメショー」とともに「トラ」ちゃんを狙っていた。
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 そして、これが 「パパシャム」 。
その出で立ちからウチの「シャム」の父親と思われるが、家族と一緒にいるのは見たことが無い。
一度家族に追い払われてるのを見たこともある。
P3020048_convert_20100608141558.jpg
 このほかにも画像が無いが「ホコリ」という奴が時々出没する。
 こいつは顔も体もでかく、
おそらく「ペルシャ」とか「ヒマラヤン」とかの系統が入ってるようだが、
灰色にすすけていかにも汚く、
まるで「掃除機のダストパックの中身」のようなので
我が家ではこう呼んでいる。
 さて、そんな「ネコワールド」に、一切関与せず、
ソファーで惰眠をむさぼる我が家の 「レディア」 ちゃんなのだった。
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(予告)近々「にゃんにゃん物語4」もアップしますので乞うご期待。
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1件のコメント
2010.06.07

「水ぼうそう」の頃(最終話)


~前回からの続き
 さて、緊急入院した「T君」は、私とほぼ同じ経過をとったが、
周囲も2回目となって慣れている分もあり、
またまた若いせいか私より軽症だったようで、じきに元気になった。
 ものがものだけに感染の恐れがあるわけで、
元気になっても病室を出て出歩くわけにはいかない。
 それより、全身にできた水疱は、次第にカサブタになって来て、
顔中に スイカの種 を貼りつけた状況なので、
とても恥ずかしくて、外なんか出られない。
 足の裏にも水疱ができて歩くのも一苦労だし。
 まあ、そんなこんなで、歳の近い「ルームメイト」は、
格好の話相手で我々はじきに仲良くなった。
 それでも、一日中話してるわけではない。
 静かな昼下がり。
 昼飯も終わり、夜の点滴までは間がある。
 個室と言ってもテレビやビデオがあるわけではない。
 ボーっとして過ごしている。
  ・・・・・・・・・・・
 
「かさっ。」
「あっ、先生、今の音、カサブタむしってゴミ箱に捨てたでしょ。」
「わかった?」
「皮膚科の先生が、カサブタとると『あばた』が残るからダメっていってましたよ。」
「でも、なんとなく、気になるし、ヒマだしなあ。」
「実は僕もついむしっちゃうんですよ。」
「だろ?ちょっと位大丈夫よ。」
   ・・・・・・・・・・・・・
      ・・・・・・・・・・・・・
「がさっ。」
「センセイ、今のは、ちょっとデカくなかったすか。」
「ん、・・・うん、ちょっと・・・・。」
 まあ、そんなこんなで、約1週間で無事退院できた。
 しかし、耳鼻科の部長からは、もうヒトに感染しないとはいえ
そのスイカタネ顔では患者が怖がるからもう1週間休めと言われた。
 かくして、新人イケメン独身ドクターとして病院デビューするつもりだった私は、
赴任早々水ぼうそうになったオマヌケドクターとして病院中に知られてしまった。
 さらに、入院中、親以外見舞い客がいなかったため
「彼女がいない」ということも、みんなにバレてしまった。
 それでも、入院生活を共にした「T君」とは、仲良くなり、
その後も、一緒に飯食ったり酒飲んだりした。
 偶然、同じ時期の、同じ病気が取り持った二人の若者の縁。
 そんな二人の事を、誰が名付けたか
 人呼んで 「ぼうそう族」。
   ~完~
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2件のコメント
2010.06.06

「水ぼうそう」の頃(第3話)

 ~前回からの続き
 そんなわけで、暫定的に内科に緊急入院となった私でしたが、
まだ、病名も、主治医も決まってない。
 朝になり、ドクター間で相談してるらしい。
 若い内科の先生が診察にも来た。
 なんかムニャムニャ言ってたが、結局よくわかんないらしく、すぐ行ってしまった。
 少しして看護婦さんが来て
「これからCT撮りに行きますので準備してください。」
 ・・・・CTっすか。
 あとで聞いたが、どうもあまりに状態が悪いので
なんかあったらヤバイからとりあえずCTくらい撮っとけ、
ということだったらしい。
 若い看護実習生の女の子に車いす押してもらいCTを撮ってくる。
 ああ、恥ずかしい。
 まあ、もちろん異常なし。
 そのうちに発疹は水疱化してきて
「ああ、こりゃ水ぼうそうだ」と分かるようになってきた。
 部屋も個室に移された。
 お昼前に、若い女医さんがやって来た。
「小倉さん、ですよね。
お久しぶりです。Aです。
水ぼうそうで皮膚科入院になりましたから、私が診させていただきます。」
 なんと、主治医は一コ下の、それも私の所属してた「軽音楽部」の後輩の女の子だった。
 うーー、カッコわりーーー。
 「よ、よろしく・・・・。」
 さて、診断はついたものの状態は一向に改善しない。
 当時はまだギリギリ水ぼうそうの抗ウイルス剤が世に出ていなかった。
 ヴェノピリンもまた打つが全然ダメ。
 午後になり、別の先生がやって来た。
この病院は皮膚科が2人いて1人は研修医の彼女、
もう1人は、院長の次に年配の部長先生だった。
「熱が下がんないね。じゃあ、メチロン打ちましょう。痛いけど、効くから。」
 メチロンとはショックなどの副作用が多発したため、これまた今は使われないが、
注射用の「ピリン」。
 「・・・どうにでもして。」
 しっかし、これが痛い、痛い。
 ヴェノピリン漏れても、全然わかんなかったのに、この筋注は相当なものだ。
 だが、そのおかげで久々に解熱。
 食事も摂れた。
 今の医学的常識では、こんな治療はダメダメだが、そん時は助かったと思ったものだ。
 その後、再び熱発し、もう一回メチロン打って、ようやく落ち着いてきた。
 
 そんなこんなで、病態も落ち着き、体が楽になったので、
朝晩の点滴がやだなあ、と思うようになった3日目。
 病院の事務のヒトが来て、
「センセイ、申し訳ないけど、患者がいるんで相部屋にさせてください。」
「へえ、全然平気ですが・・・。」
「実は、病院の事務の男の子が水ぼうそうになっっちゃったんで。」
 というわけで、同じ病院の事務に勤めてる二十歳前の「T君」が緊急入院してきた。
  ~もうちょっと、続く
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2010.06.05

「水ぼうそう」の頃(第2話)

 ~前回から続く
「じゃあ、ココがベッドです。トイレはこの右奥、これがナースコールです。
トイレに行く時はこのコップを持って、お小水を取ったら名前の書いてある箱に入れておいてください。
入院に必要なものがこの紙に書いてありますから、あとでお家のヒトに届けてもらってください。
そして、ここに、保証人の方、ご家族以外の方のお名前とハンコを・・・・」
 看護婦さんの声は、どこか遠くの方で鳴っているラジオのように思えた。
 6人部屋の入り口のベッドだった。
 夕食も摂れず、倒れこんだ。
 高熱で意識が朦朧としてるのだが、体中痛くてよく眠れない。
 夢と現(うつつ)の世界を行ったり来たり。
 抽象的な悪夢を何回も見る。
 呼吸は荒く、自分のうめき声で目が覚める。
 しばらく、うなされた後、ふと、尿意を覚え、トイレに行きたくなった。
 今、何時だろう。
 どこかその辺に置いたはずの腕時計を探そうとしたがあきらめた。
 いつの間にか「消灯」になっており、あたりは薄暗い。
 ナントカ、起き上がる。
 ふらついて立ち上がるのも大仕事だ。
 トイレは、確か右と・・・。
 あ、コップ、コップ。
 「コップに尿をとる」ってのがプレッシャーになって、
何回も尿をとる夢を見たような気がする。
 ふらふらと廊下に出るが、わずか十数メートルのはずが、果てしなく遠い。
 壁伝いにナントカたどり着き、ことを済ませ、また帰りが大変だ。
 どんなに頑張っても全然病室までたどり着けない。
 冬山でテントまであと10メートルのところで遭難しちゃうってこんな感じだろう。
 ともかく膨大な時間と労力を費やして
(実際、どれくらい時間がかかったかわからないが)
自分の寝場所に倒れこんた。
 
 しかし、以前、高熱でうめき続けていた(らしい)。
 ふと、気づくと看護婦さんの姿がベットサイドにあった。
「小倉さん、楽になる様に注射をしましょう。」
 どうやら、あまりに苦しそうな私の様子に、
これはヤバそうだ、と隣りのベッドの患者さんがナースコールしたらしい。
「ヴェノピリン、ですか?」
「そうです。」
「ヴェノピリン」とは、今は使われていないが、「静脈注射用」のアスピリンで、
内服よりはかなり強力な解熱鎮痛作用がある。
 ヴェノピリンだろうが、覚せい剤だろうが早く楽にしてくれー。
「お、お願いします。」
「ちょっと、我慢してくださいね。あっ、ごめんなさい。」
「へ?」
「もれちゃったので、もう一回します。」
 自慢じゃないが、私、血管出るのが自慢で、
医学生同士の採血練習でも、みんな楽勝だったのに。
 それにしても、注射もれてもその痛みが全然わからないくらい弱っちゃっていたようだ。
 しかし、残念ながらそのヴェノピリンでも全然熱が下がらないまま、翌朝を迎えたのだった。
 ~まだまだ続く
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2010.06.04

「水ぼうそう」の頃(第1話)


 何気に「水ぼうそう」はやってます。
 子供の時にかかっちゃう、ってのも手なんですけどね。
 実は、私、大人になってから「水ぼうそう」にかかって、
大変な思いをしたことがあります。
 私が医者になって2年目の事でした。
 1年間大学病院で、研修をし、2年目から外の病院に出ました。
 国家試験の関係で当時は6月が異動でした。
 その前からなんとなく体調が悪かったのですが、
土曜日の晩、当直にあたり、翌朝、日曜日の事です。
 ああ、昨夜は救急車がいっぱい来て、何回も起されて大変だった。
早く、回診を済ませて帰って休もうと、
当直室の洗面台に向かった時の事。
 鏡をのぞきこんでびっくり。
 なんと顔中にぶつぶつが。
 あわてて、シャツをはだけると、胸から体も発疹だらけ。
「なんじゃあ、こりゃ。」 (松田優作ふうに)
 昨夜、深夜に急患の頭の怪我を縫ってた時にはなんもなかったはず。
 あわてて、もう一人の「内科当直」の先生を呼び出す。
(総合病院なので「内科系」「外科系」と2名の当直医がいる)
「うーーーん、なんだろーねー。わかんないなあ。」
「どっちにしろウイルス感染だから、薬って解熱剤くらいしか無いですよね。」
「うーーーん、まあ、そーゆーことだねー。」
という内科の頼りない先生の意見も聞いて、
自分で処方箋書いて
薬剤部で薬もらって自宅に帰った。
 ところが、家に帰って、ぐんぐん熱が上がる上がる。
 解熱剤も全く効かない。
 月曜日になっても高熱なので、病院に電話して休ませてもらった。
 しかし、高熱は一向に下がらず、食事も取れず。
 ついに夕方、病院に電話して診てもらうことに。
 とても車の運転はできないので、タクシーで救急外来にかかった。
 「よく、わかんないけど、入院しましょう。」
 んで、やっぱり「よくわからない」まま、
とりあえず内科の大部屋の空きベッドに
生まれて初めての入院をしたのだった。
    ~つづく
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医療系をまとめました。
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