ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.11.13

ロックな高校生リターンズ(第8話)

 「あ、そう、うん、じゃあいいんじゃないの。」
意外にも、インドネシアは我々の練習を快諾し、
日曜日に学校に来て鍵を開けてくれることになった。
・・・日曜日にヒマとは、こいつ彼女いないな。(大きなお世話だが。)
 そんなことで、練習場所の問題は解決したのだが、新たな問題が起こったのだった。
 「おい、オグラ、大変だよ、足高祭にとんでもない数のバンドが申請してるらしいぜ。」
 「5つや6つじゃないんだよ、1年生も2年生もバンドがいっぱい出来て20以上出てるらしいぜ。」
 「20以上!そんなにいっぱい体育館出らんねーよ。」
 「ともかく、今度の水曜に実行委員会があるから。」
 1976年から1977年にかけて、日本におけるいわゆる洋楽、ロックの状況は大きく変化した。
いわゆる”洋楽ブーム”の到来である。
 洋楽、特にロックは、テレビなどの一般メディアにのることはなく、
いわゆる一部のロックマニアのものだった。
 それが、クイーンの初来日(1975年)くらいから、
じわじわと一般の女の子のロック・ファンが増えてきたわけだ。
それまで、郷ひろみや西城秀樹を、追っかけていた、ミーハーファンが
ロックスターのルックスに注目するようになったのだ。
 さらに、その動きを加速させたのが「ベイシティ・ローラーズ」の登場である。
彼らの、戦略はターゲットが、完全に
”それまでロックを聴いたこともない女の子”たちだった。
 ベイ・シティ・ローラーズはイギリス、エジンバラ出身の「アイドル」ロック・グループで
日本でも、瞬く間に大人気になった。
日本の少女たちの目には、白馬に乗った王子様のように映ったのかもしれないが
よく見ると、ホームベースみたいな顔した奴とか、まゆ毛のつながってる奴とかいて
なんか、キミたちだまされてるぞ、って感じもしてた。
 そもそも、楽器もろくに弾けずにコンサートは口パクだし、
男のロックファンは、みんな毛嫌いしていたものだ。
 この点、もともとロックバンドとしてスタートしたが、ルックスの良さから
想定外の部分で人気が出た「クイーン」とは、360度違うといってもいいのだが
ほぼ、360度回っちゃったため、同じような扱いをされていた。
 ロック雑誌「ミュージック・ライフ」は、記録的に部数を伸ばし、新雑誌も次々創刊、
アイドル誌の「明星」や「平凡」も、毎号ロックスターが登場するようになって来た。
それに伴い、ヒットチャートに洋楽が入るようになり
いわゆる”お茶の間”に、ロックが進出するようになったのだ。
 ロック人口が飛躍的に増大し、最初はヒット曲から入ったファンの中にも
次第に本物のロックを聴くヒトも増えてきた。
 「キッス」や「エアロスミス」、「チープ・トリック」などの新しい本格的ロックバンドも
人気を上げるようになった。
(ただバンドにルックスのいいメンバーが2人以上いる、ってのがウケル条件だったが・・・。
いくら、ロックの人気が出てもニール・ヤングが「明星」のグラビアを飾ることは無い・・・。)
 そして若者の間では、エレキギターを手にすることは、かつてのフォークギターなみに一般化して、
「じゃあ、学園祭で、やってみるか。」
なんて、にわかバンドが、雨後のタケノコのように、この時期現れちゃったのである。
 わが足利高校も、それまではロックバンドなんか1学年に1~2組しかなかったはずだが、
それにしても20以上のノミネートはただ事ではない。
1バンド15分に限定しても交代時間なんかを含めて6時間以上もぶっ続けというわけにはいくまい。
 「まいったなー。20いくつもバンドあったんじゃ、収拾つかないぜ。」
 「ベイシティ・ローラーズが、いけねえんだ。あのくそバンドが。」
 「ロゼッタ・ストーンとかパット・マグリンとスコッティーズなんてのも最近あるらしいぜ。」
 「スコッティーズ?何だそら、ティッシュ・ペーパーか。」
 「でも、女の子に人気あるぜ。」
 「バカモノ、男は、ハード・ロックじゃ、パープル、ツェッペリンだ!」
 「そーだ、そーだ。」
 「そりゃそうだが、ともかく、この事態を何とかしないと・・・。」

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