ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.11.06

ロックな高校生リターンズ(第3話)

 
 さて、バンド活動からは遠ざかっていたが、ロックは相変わらず生活の一部だった。
受験生といえども、ロックなくしては暮らしていけない。
 主な情報ソースはFMラジオであったが、ロック好きの友人とレコードの貸し借りは良くやっていた。
特に、ロック・ボックスの時、ロンドンブーツを貸してくれたTは、ロックのレコードをいっぱい持っていた。
ロバート・プラントみたいにクルクルの長髪(当時ロン毛なんつー言葉はない)で、
おまけに茶色に染めていた。(茶髪っていう言葉もないよ、くどいようだけど。)
足高、校則ゆるいなー。
「おー、『エクソダス』、よかったよ。サンキュー。」
借りていたボブ・マーリーのレコードをTに返す。
CDと違ってLPは、でかいから持ち運びが大変。
学生カバン(ペチャンコでステッカーべたべただった)は、自転車の荷台に縛りつけ
レコードは前のかごに入れるのだが、斜めにしか入んなくて
片手で抑えて自転車こいでた。
「なあ、レゲエ、いいだろ。今度、サンタナも貸そうか?」
「いやー、サンタナはなー・・・。」
こいつはサンタナの大ファンだった。
「そりゃそうと、オグラ、足高祭、なんかやんの?」
「何かって・・・。」
「バンドだよ、バンド。」
 うーん、そこだ。
私が通ってた足利高校は、学園祭、体育祭、球技大会が3年周期でローテーションする。
つまり学園祭って3年に一回しかないのだ。
しかも、我々の学年の場合、3年生で学園祭が回ってくる。
1年生の時、体育祭で2年、3年の先輩にあれこれ言われ(縦割りのクラス対抗なのだ。)
花の2年生の時に、どーでもいい球技大会があり、
一番盛り上がる学園祭のときに、大学受験準備でろくに参加できない、って言う最低のめぐりあわせなのだ。
「それじゃあ、T、お前は、やんの?」
「いやー、俺とこのバンドは、だめだなー。
それより俺はレコード・コンサートをやる。題して『アフリカン・ミュージックを考える会』だ。」
「アメリカン・ミュージック?」
「アフリカン・ミュージックだよ、オグラ、やっぱロックのルーツは黒人だよ。アフリカだよ。
ボブ・マーレイ、サンタナ、アース・ウインド・アンド・ファイヤーだよ。
みんな、アフリカにルーツがあるんだよ。」
「うーん、オレはやっぱりブリティッシュ・ロック派だなー。」
「そっかー、でもサンタナいいぞー。
ライブ盤の『ロータスの伝説』な、1曲目なんて『瞑想』ってタイトルで1分間だまって瞑想してるから音楽、全然入ってないのよ。
すげーだろ。」
 どこがすげーかわからんが、ビデオならともかく音楽はいってないレコードつまんないだろーよ。
なんか損した気がするぞ。(もちろん、当時家庭用ビデオなんかないわけだが)
 俺なんか、レコード買うときに裏に書いてある演奏時間を合計して、
少しでも長い方を買ったりしたものだ。
セコイちゃあセコイが、レコードなんか、おいそれと買えない身分だった。
特に親父が死んでからは、小遣いは半減し、ロック雑誌等も買えなくなった。
LPなんか当時1枚2500円くらい。
今より高い!
 しかし、Tの奴はロックオタクだねー。
アースなんてその後有名になったけど、当時はまだまだマイナーだった。
アフリカン・ミュージックもその後、ピーター・ガブリエルやトーキング・ヘッズが
アフリカン・ビートを取り入れるのはこの話の3年後くらいだから
T君は先見の明があった、というわけだ。
 さて、それはともかく、やっぱ学園祭っつたらバンドだよなー。
高校生活で、唯一の学園祭、ここで演奏したいなー。
女の子も来るしなー。
いっちょ、メンバーに声かけてみっか。

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