ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.08.04

ロックな高校生(第7話)

 「やっぱ、ここで練習するしかねーよ。」
「あと1ヶ月ってことで、何とか練習させてもらおうよ。」
「そうだな、みんなで、頭下げて、あと1月だけ、その後はやりません、ってことで。」
「なんか、持ってった方がよくない?」
「そうだな、こーゆー時は、菓子折りだ。」
「じゃあ、小泉哲ちゃんちで、最中、買ってこ。」
「おー、そりゃ名案。」
哲ちゃんは我々の同級生で、実家は老舗の和菓子屋さんだ。
というわけで、我々は小遣いを出し合って、最中を買い
それを持って、近所の家を一軒一軒回った。
「あと、1ヶ月だけです。」
「それ以後は、絶対音を出しません。」
「夜も8時以降は練習しません。」
メンバー全員で、頭を下げて回った。
その甲斐あって、何とか、本番までの練習許可を取り付けたのだった。
「よかったなー。」
練習にも力が入る。
曲も決まった。
1曲目にディープ・パープルの「ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン」
名盤「ライブ・イン・ジャパン」のバージョンだ。ギターとボーカルの掛け合いがウリ。
2曲目はやはりパープルの「ラブ・チャイルド」
こちらはギターがトミー・ボーリンに変わったあとのアルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」
からのナンバーだ。
リフがツェッペリンの「ハートブレイカー」に似ている。
そして3曲目は、オリジナル。
ギターのEと、私で作った「オールド・キャッスル・イン・マイ・ハート」。
・・・うーむ、今聞いたら赤面するようなタイトルじゃ。
パープルの「チャイルド・イン・タイム」で始まって
ツェッペリンの「天国への階段」で終わるようなパクリまくり、の曲だ。
本当は「チャイルド~」なり「天国への~」なりで、盛り上げて終わりたいのだが
それらは難しすぎて手に負えないので、それっぽい曲をでっち上げた、というのが真相だ。
そして、ついにポスターとチケットができた。
よーし、女子高のNちゃんを誘うんじゃ。
いけ、O!
さて、Oの作戦は果たして功を奏するのか。次回へ

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2008.08.03

ロックな高校生(第6話)

 「あー、やべぇやべぇ、練習に遅れちった。それにしても、ギターもつと自転車乗りにくいなー。」
当時、肩から背負えるような今みたいな気の利いたギターのソフトケースなんてない。
高いギターにはハードケースがついてくるが、私が買った最も安いクラスのギターは
3角のダンボールの箱に入ってた。
そこで、以前買ったフォーク・ギター用のソフトケースにエレキ・ギターを入れて
手でぶら下げて、自転車で練習場に向かう。
このソフトケースが、チェックの布製で、ダサいったらありゃしない。
まるで、昔よく見た服をかける「ファンシー・ケース」みたいな感じ。
しかし、当時エレキはまだ、珍しい。
明らかに不自然な形のケースをぶら下げていくと
すれ違う男子中学生が「お、エレキだぜ、あれ。」などとささやくのが耳に入る。
「ふふふ、そうだよ少年たち。この中はエレキ・ギターなのだよ。」
などと、心の中でささやかな優越感を持って自転車のペダルをこぐわけだ。
学校から、帰って学生服を脱いで、ベルボトムのジーンズに履き替えて
練習場に向かうわけだが、ジーンズのすそがぴらぴらしてるので
ギター下げて油断して自転車こいでると、チェーンにすそが巻き込まれてしまう。
んでもって、がに股でのったらのったらこいでいくわけだ。
さて、そんなわけでその日、時間に遅れて練習場に着いた。
あれ、音がしてねーぞ、
「いやー、わりい、わりい、遅くなっちった。あれ、どしたの?」
なんか、みんな深刻な顔をしている。
「さっきさ、コシヌマが来たんだ、ここに。」
「えっ、コシヌマって、英語のコシヌマ?」
「そーだよ、足高の先生のコシヌマだよ。」
「何で、また?」
「俺たちの練習がうるさいって、近所の人から高校に苦情がいったんだ。
だから、先生が来て、もう音出すなって。」

「音出すなったってあと1ヶ月だよ。練習しなきゃ、まだオリジナルだって全部できてねーじゃん。」
「だーから、困ってんだろーが。」
キーボードを加えた我々はオリジナルに挑戦していた。
主な理由は、既存の曲だと難しすぎて我々の演奏能力を超えてしまうからである
完成までまだ、時間がかかるが、何回もスタジオを借りる金なんてあるわけない。
「もうすぐ、チケットとポスターもできんだろ、そしたら、O、彼女誘うんだろ!」
「どーすんだよー。」

さて、どうしよう。
練習はできない、曲はできてない、時間がない、
せっかく苦労してここまでこぎつけたのに、
いったい今後、どうなるんでしょう。
物語は、いよいよヤマ場を迎える。

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2008.08.03

ロックな高校生(第5話)

 さて、ロック・ボックスに応募して、結果を待ってるうちにトンデモナイ事件が起きた。
ナンと、私の父が急死しちゃったのだ。
やはり耳鼻科医をやってた私の父は10月9日の土曜日までフツーに診療を行っていたが
10月9日夜、急に体調を崩し、激しい胸痛に襲われる。
ところが10月10,11日と連休の前だったためか、知り合いの医者は誰も捉まらず、
翌10日早朝、救急車で日赤に。
しかし、その日のお昼過ぎには息を引き取ってしまった。
急性心筋梗塞、57歳だった。
今、私が考えると、働きすぎとタバコの吸い過ぎかな。
何か、前兆は無かったのか、何とか回避できなかったのか、悔やまれる。
毎日、毎日朝から晩まで、夜間、休日は急患の診察も絶対断らず、
何でこんなに仕事するかな、と思ったものだ。
しかも、翌11日から私は、足高の修学旅行に行く予定だった。
当然旅行は行けず。
まあ、旅行に行く前で、親の死に目に会えたのは、まだ良かったのか・・・。
旅行から帰ってきた同級生たちが、線香上げに来てくれたが、
その時、ベースのOが、
「あのさー、こんな時に、なんなんだけど、ロック・ボックス通ったんだけど・・・。」
「お、ああー、よかったじゃん。」
「でも、小倉、出れる・・?」
「いや、出ようよ、出るに決まってんじゃん。」
いきおいで、答えた面もあったが、ここでやめちゃうとますます落ち込んじゃう気がしたし、
バンドに打ち込んで、悲しみを忘れたい、っていうのもあった。
北海道帝国大学出身で軍医上がりの父は、男が音楽やるなんてとんでもない、という感じで
ロックはもちろん、クラッシックも演歌もジャズも興味なし。
風呂で歌うのは、軍歌か大学の寮歌だった。
オレがいつもギターを弾いてると、しぶい顔して、露骨にうるさがるくせに、
その土曜日だけは、昼間、「やってるな、修学旅行にカメラもってげよ。」
と、珍しく、ニコニコ声をかけられた。
たまにそんな事いうから、死んじゃうんだよ、まったく・・・、親父の奴・・・。
後で、調べると、ロック・ボックスの当日は、ナント父の四十九日の日だった。
結局、母と交渉して、法要が11~2時までなので、そのあと会場に向かうことになった。

さて、予選通過の結果を聞いてドラムの I も修学旅行をあきらめ、私も出場の目途がついた。
メンバーも固まり、このまま、本番まで、突っ走るぞー、と思ったが、
さらに最大の試練がわれわれを襲うのであった。
さて、その試練とは・・・。(まだ、つづく

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2008.08.02

ロックな高校生(第4話)

 「じゃあさ、どうやったら、ロック・ボックス出られるかだよ。」
「んー、フツーに考えりゃ、まず無理だな。」
足利、太田、館林といえば、相当な人口だ。
バンドがいくつあるか知らんが、大学生、社会人OKなので、うまいバンドも多いだろうから
バンド暦1年足らずの高校生のガキが出られる可能性は、かなり低い。
「なんか、K楽器にアピールする点がないと。」
「そうだ、E、お前ギター新しく買えよ。」
「そうだよ、お前の4万円のグレコのテレキャスじゃあ、市民会館のステージよえーよ。」
「ああー、そうだどーんと買っちゃえよ。そうすりゃ、考慮されるかも。」
「そんな金なんかねえよ。つーかそーゆーこと、かんけーないらしいぜ。
それより、その件に関しては、もう手が打ってある。」

 「何だよ。」
「1組のAがいるだろ、あいつが8万円のフェルナンデスのレスポール持ってるのよ。」
 「おおー。」
「ちゃんとセットネックのやつだぜ、それをな、もし通ったら貸してくれるそうだ。」
せ、せこい、せこすぎるぞ。
レス・ポールはジミー・ペイジで有名な憧れのギターだが、
もちろん本物のギブソンは新品で当時35万円もした。
だからみんな国産のコピーモデルを使ってたわけだが
安いやつはボルトオンネックといって、ギターのネックがねじで止めてある。
高級品になるとセットネックといって、木材の段階で加工して接着してありすごく弾きやすいわけだ。
最近は、廉価版でもセットネックがフツーだが、当時はセットネックというと「おおー」といったもんだ。
もっとも、今日日の高校生はいきなりギブソンだ、フェンダーだとか買いやがる。
ふざけんなよ、オヤジはおこるぞ。
当時のオレのギターなんて、さらに安い定価3万5千円のグヤトーンのストラトで、
楽器屋さんに注文する時
「いまどきグヤですか、よくこんな安いギターカタログから探しましたねー。」
と言われてしまった。
ま、そんな話はどーでもいいや。
その時誰かが
 「やっぱ、パープルやるんならキーボードいなきゃなー。」
 「そうだ、2組のSどうだ?」
 「あいつ、この間シンセサイザー買ったんだよ。20万以上したらしいぜ。」
 「おおー、シンセかー。」
シンセサイザーは当時まったく新しい楽器として、特にロック界で注目を集めていた。
そのほんの数年前までは数百万円もしたのだが、
20万円前後のモデルがようやく出てきたとこだった。
しかし、まだまだ珍しい楽器でディープ・パープルや、プログレのバンドは使っていたが
例えば、クイーンなんかは当時まだ使ってなかった。
シンセがあるバンド、って言うとそれなりのアピール度があったわけだ。
今でこそ、9800円で当時のシンセの何倍もの機能があるやつが買えるのだが・・・。
で、とりあえずSに打診すると2つ返事で加入が決定。
Sは、やせてて弱そうで、理知的な感じがして、いかにもキーボードプレイヤーって感じのやつだ。
足高のブライアン・イーノといったとこだが、
ルックスはどっちかというとスパークスのメイル兄弟のお兄さんの方のちょび髭を取ったような感じ。
うーん、わかる人しかわかんないっすね。
プログレッシブ・ロックが大好きでイエスなんかを聞いていた。
さあ、そんなわけでメンバーが5人になり、体制が整った。
そしたら、今度はドラムの I がいきなり言った。
「いや、やベーよ。」
「何だ、どーした。」
「いや、俺さ、そのロック・ボックスの日、どうも修学旅行みてえんだよ。」
「げげげ、まじ?」
他のメンバーは足高なんだが、彼だけは私立の高校だ。
修学旅行で九州に行くという。
さて、どうしたものか・・・。ドラムなきゃ、始まんないし。
さて、修学旅行はどうするか。
そして、さらに大きな問題が。
波乱の次回を待て。

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2008.08.01

ロックな高校生(第3話)

 「いやー、こないだはよかったよなー。」
 「俺たちの、ファンクラブとかできたりして。」 (んなモン、できるわきゃねえ。)
「前の、女の子俺のほう見てたよ。」 (そりゃ、見るだろ、演奏してんだから。)
女子高ライブが終わって、再び練習場に集まり、
練習もせずに、あれこれ勝手な見解を述べる我々。
そん中で、ベースのOがボーとしてる。
「おい、よかったな。お前のおかげだよ。」
「うん・・・。」
「どした?」
「いや、可愛いかったなと思って。」
「へ、可愛いかった?お前のいとこのMちゃんか?」
「そうじゃねーよ。Nちゃんだよ。」
「だれ、それ。」
「ドラムやってた子だよ。」
「あーーーーーーーーー!」
いっせいにのけぞるメンバー。
そっかー、あの子かー。
確かにドラムやってたNちゃんは、なかなか可愛かった。
「お前、あーゆータイプ好きなのかー。」
O君は当時「アグネス・ラム」のファンだった。
練習場には、オレがわざわざ彼のためにトヨタのディーラーからもらってきた
でっかいアグネス・ラムの水着ポスターがはってあった。[emoji:e-413]
(ちなみに私は以前述べたようにキャンディーズ派でギターのEは片平なぎさのファンだった。
このEの趣味は謎だ。)
まあ、彼女がアグネス・ラムに似てるかはともかく。
にわかに盛り上がるメンバー。
「どうする、どうする。」
「告白しろ、告白。好きだって言っちゃえ。」
「まあ、多分無理だと思うけどなー。」
「いや、わかんねーぞ、人間、趣味も好みもさまざまだからな。」
「そうだそうだ、俺も片平なぎさのどこがいいかわかんねーし。」
「片平なぎさを悪く言うな。」
他人事なので、ほとんど無責任な発言が多い。
しかし、Oはシャイで有名。いい奴なんだが、その手のことには弱い。
とても告白する勇気なんてありゃしない。
そこで、めずらしく建設的な意見が出た。
「今度のロック・ボックス、もし俺たちが通ったらチケット渡して来てもらうのはどう?」
「おー、それ、いいかも。」
ロック・ボックスというのは、地元の楽器屋さんが主催してるイベントで
足利、太田、館林の3市からバンドを募集し、テープ審査で4バンドを選ぶ。
これに通ると、プロの機材、ミキシングで足利市民会館大ホールで演奏できるってわけだ。
「よし、そうしよう。」
シャイなOも、そこまで行けばやる、ということで納得した。
そんなわけで、我々は新たな目標に向かって活動を再開したのだった。
(ちなみに、このドラムのNちゃんが、この間CRPのライブに来てくれた人です。)
さて、そんな我々の前に思わぬ試練が待ち受ける。
果たしてアースバウンドはロック・ボックスに出られるのか。
そしてOの恋の行方は・・・。
風雲、急を告げる第4話に、乞う、ご期待。

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