ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.08.03

ロックな高校生(第6話)

 「あー、やべぇやべぇ、練習に遅れちった。それにしても、ギターもつと自転車乗りにくいなー。」
当時、肩から背負えるような今みたいな気の利いたギターのソフトケースなんてない。
高いギターにはハードケースがついてくるが、私が買った最も安いクラスのギターは
3角のダンボールの箱に入ってた。
そこで、以前買ったフォーク・ギター用のソフトケースにエレキ・ギターを入れて
手でぶら下げて、自転車で練習場に向かう。
このソフトケースが、チェックの布製で、ダサいったらありゃしない。
まるで、昔よく見た服をかける「ファンシー・ケース」みたいな感じ。
しかし、当時エレキはまだ、珍しい。
明らかに不自然な形のケースをぶら下げていくと
すれ違う男子中学生が「お、エレキだぜ、あれ。」などとささやくのが耳に入る。
「ふふふ、そうだよ少年たち。この中はエレキ・ギターなのだよ。」
などと、心の中でささやかな優越感を持って自転車のペダルをこぐわけだ。
学校から、帰って学生服を脱いで、ベルボトムのジーンズに履き替えて
練習場に向かうわけだが、ジーンズのすそがぴらぴらしてるので
ギター下げて油断して自転車こいでると、チェーンにすそが巻き込まれてしまう。
んでもって、がに股でのったらのったらこいでいくわけだ。
さて、そんなわけでその日、時間に遅れて練習場に着いた。
あれ、音がしてねーぞ、
「いやー、わりい、わりい、遅くなっちった。あれ、どしたの?」
なんか、みんな深刻な顔をしている。
「さっきさ、コシヌマが来たんだ、ここに。」
「えっ、コシヌマって、英語のコシヌマ?」
「そーだよ、足高の先生のコシヌマだよ。」
「何で、また?」
「俺たちの練習がうるさいって、近所の人から高校に苦情がいったんだ。
だから、先生が来て、もう音出すなって。」

「音出すなったってあと1ヶ月だよ。練習しなきゃ、まだオリジナルだって全部できてねーじゃん。」
「だーから、困ってんだろーが。」
キーボードを加えた我々はオリジナルに挑戦していた。
主な理由は、既存の曲だと難しすぎて我々の演奏能力を超えてしまうからである
完成までまだ、時間がかかるが、何回もスタジオを借りる金なんてあるわけない。
「もうすぐ、チケットとポスターもできんだろ、そしたら、O、彼女誘うんだろ!」
「どーすんだよー。」

さて、どうしよう。
練習はできない、曲はできてない、時間がない、
せっかく苦労してここまでこぎつけたのに、
いったい今後、どうなるんでしょう。
物語は、いよいよヤマ場を迎える。

コメントはまだありません
2008.08.03

ロックな高校生(第5話)

 さて、ロック・ボックスに応募して、結果を待ってるうちにトンデモナイ事件が起きた。
ナンと、私の父が急死しちゃったのだ。
やはり耳鼻科医をやってた私の父は10月9日の土曜日までフツーに診療を行っていたが
10月9日夜、急に体調を崩し、激しい胸痛に襲われる。
ところが10月10,11日と連休の前だったためか、知り合いの医者は誰も捉まらず、
翌10日早朝、救急車で日赤に。
しかし、その日のお昼過ぎには息を引き取ってしまった。
急性心筋梗塞、57歳だった。
今、私が考えると、働きすぎとタバコの吸い過ぎかな。
何か、前兆は無かったのか、何とか回避できなかったのか、悔やまれる。
毎日、毎日朝から晩まで、夜間、休日は急患の診察も絶対断らず、
何でこんなに仕事するかな、と思ったものだ。
しかも、翌11日から私は、足高の修学旅行に行く予定だった。
当然旅行は行けず。
まあ、旅行に行く前で、親の死に目に会えたのは、まだ良かったのか・・・。
旅行から帰ってきた同級生たちが、線香上げに来てくれたが、
その時、ベースのOが、
「あのさー、こんな時に、なんなんだけど、ロック・ボックス通ったんだけど・・・。」
「お、ああー、よかったじゃん。」
「でも、小倉、出れる・・?」
「いや、出ようよ、出るに決まってんじゃん。」
いきおいで、答えた面もあったが、ここでやめちゃうとますます落ち込んじゃう気がしたし、
バンドに打ち込んで、悲しみを忘れたい、っていうのもあった。
北海道帝国大学出身で軍医上がりの父は、男が音楽やるなんてとんでもない、という感じで
ロックはもちろん、クラッシックも演歌もジャズも興味なし。
風呂で歌うのは、軍歌か大学の寮歌だった。
オレがいつもギターを弾いてると、しぶい顔して、露骨にうるさがるくせに、
その土曜日だけは、昼間、「やってるな、修学旅行にカメラもってげよ。」
と、珍しく、ニコニコ声をかけられた。
たまにそんな事いうから、死んじゃうんだよ、まったく・・・、親父の奴・・・。
後で、調べると、ロック・ボックスの当日は、ナント父の四十九日の日だった。
結局、母と交渉して、法要が11~2時までなので、そのあと会場に向かうことになった。

さて、予選通過の結果を聞いてドラムの I も修学旅行をあきらめ、私も出場の目途がついた。
メンバーも固まり、このまま、本番まで、突っ走るぞー、と思ったが、
さらに最大の試練がわれわれを襲うのであった。
さて、その試練とは・・・。(まだ、つづく

2件のコメント
医療系をまとめました。
2008年8月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
最近の投稿 最近のコメントカテゴリー アーカイブ