ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2017.10.26

頑張れよなんて言わないぜ

Pocket

 

日本の偉大なるミュージシャン、遠藤賢司氏が昨日、10月25日亡くなった。

享年70歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠藤賢司氏を知ったのは中学生のころ、

深夜放送を聴くようになって、にわかにフォークソングに目覚めたのが1972年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのとき、遠藤賢司の「カレーライス」が大ヒットした直後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガロや井上陽水あたりから、入ったワタシとしては、

何だ、こりゃ、という異物感とともに飲み込んだのが

遠藤賢司とのファーストコンタクトであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバム「満足できるかな」を改めて聴くと、

フォークソングという形態をとっているが、

ロックスピリットというか、もっと超越した音楽のエナジーを感じ取ることができ、

そこが「異物感」の原因であったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、次のディープインパクトは1979年の「東京ワッショイ」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それまでは異色のフォークシンガーとしての認識であったが、

突然出たこのアルバムの衝撃は絶大であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セックス・ピストルズの登場によって、

それまできいていたオールド・ロックの概念をたたきつぶされていたワタシは、

非常に素直にその世界観が理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、このアルバムが発売されたのは1979年1月、

その年の3月、ワタシは一浪の大学受験で、群馬大学に入学するのだが、

大学時代の同級生でずっと一緒にバンドやっていたベースのウスイ君は、

群大受験の時にこのアルバムに収録されている

「不滅の男」を口ずさみながら試験会場に入ったといっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハゲシク同意できる話である。

ワタシもこの歌に何度勇気づけられたことか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デビュー当時、その声質などからニ―ル・ヤングに比較されることもあった遠藤賢司氏であるが、

そのニ―ル・ヤングも、セックス・ピストルズに激しく触発されて、

「ヘイヘイマイマイ」を含むアルバム「ラスト・ネバー・スリープス」を

同じく1979年の7月に発表してることはたいへん興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の「宇宙防衛軍」もサイコーだった。

「東京ワッショイ」に入っていたクラフトワーク版の「哀愁の東京タワー」もニヤリとさせられたが、

それがムード歌謡版でセルフカバーされており、しかも女性ボーカルが

当時リバイバルで超注目であった「平山三紀」だったのにはもう完全にヤラレタ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後もパンクでロックな活躍をつづけ、

2002年のこのアルバムもサイコーだったなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忌野清志郎氏が亡くなり、遠藤賢司氏がまたこの世を去って、

ワタシが敬愛する日本の3大ロッカーは、もうパンタ氏しか残ってないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たしか、カレーライスに出てくるネコは「寝図美(ねずみ)」という名の

当時、遠藤賢司氏が飼っていたネコだという話だったような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天国で再会できたでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

コメントはまだありません

コメント/トラックバック トラックバック用URL:

管理人にのみ公開されます

医療系をまとめました。
2024年3月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
最近の投稿 最近のコメントカテゴリー アーカイブ