ニホンゴとEIGO
バンドをやっていて、いろんなところでいろんなバンドを聴く機会がある。
もちろん、アマチュア、いわゆるオヤジバンドの類だ。
最近気づくことがある。
アマチュアなのでバンドではコピーにしろオリジナルにしろ
自分たちの好きな曲を演奏するわけだが、
同じオヤジバンドでも50歳を境に大きく変わることがある。
大雑把に言って50歳より上のバンドは英語詞、
それより下のバンドは日本語の歌詞のバンドが多数を占める。(フォーク系を除く)
これは、コピーではより顕著だが、オリジナルにもその傾向はあるようだ。
むろん、50歳を境に日本語で歌っていたバンドが英語に代わるわけではなく、
ムカシからずっとそうだったわけで。
ワタシの世代はロック=英語という鉄板の公式があった。
若いヒトにはまったく理解不能だと思うが、
「果たして、日本語でのロックは可能か」、という議論は、
あらゆる場面でくりかえし真面目に議論されていた問題なのだ。
ワタシはジャズ世代ではないが
ロックに先立って、日本に入ってきたジャズには場合によってはボーカルもあるが、
あくまで主役はトランペットだったり、サックスだったりピアノだったりの「楽器」であり、
「言語」の要素は少ない。
そのあとにブームになったフォークは歌詞のメッセージ性が重視され、
岡林信康、高田渡などは日本語詞に強烈なメッセージをのせて支持を得た。
一方、ロックといえば特にハードロックはギターとボーカルの戦いである。
歌の占める比重は高いが、それは楽器としての「声」であり、
歌詞の内容よりは、サウンドとしての響きの方がより重要だ。
ロバート・プラントやイアン・ギランの歌を和訳しちゃうと、いかにも間が抜ける。
そこを逆手にとって楽しんでるのが「王様」なのだが。
はっぴいえんどは日本語のロックをはじめてモノにした、というが、
彼らのサウンドはバッファロー・スプリングフィールドやバンドを思わせる
アーシーなもので、
激しいビートのいわゆるハードロック・サウンドではナイ。
キャロルは日本語を英語っぽく歌う独特の歌唱を発明した。
すなわち「かきくけこ」を「キャキィキュキェキョ」と歌うことで
無声音、破裂音を多く含む英語の雰囲気に近づけたのだ。
でも、それでも本物の英語の方がカッコイイに決まっている。
ということでワタシを含めた現在おおむね50歳以上の人は
少年時代に聴いた英語の歌がカッコイイロックの原体験となっているわけで、
その固定観念から脱することができず、今日もシコシコ英語の歌詞を暗記するのだ。
最後にぜひこの曲を聴いていただきたい。
高校時代、この曲をラジオで初めて聴いたときは衝撃のあまり椅子から落ちそうになった。
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