ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2019.04.26

いだてんとレオタード

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何とか見続けている(笑)大河ドラマ「いだてん」ですが、

最初から気になっていたオープニングテーマに出てくるこの選手。

(もちろん右の女の子の方)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー、見覚えがある、

とっさに頭に浮かんだ名前は「オルガ・コルブト」だったのですが、

先日ネットで調べたら、コルブトちゃんではなく、

同じミュンヘンオリンピック女子体操ソ連代表のルドミュラ・ツリスチェワさんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、ネットで検索した情報をもとに、記憶をたぐり寄せてみました。

2人はともにソビエト連邦代表といっても、

コルブトはベラルーシ出身なので、今ならロシア代表ではない。

ツリスチェワはロシア連邦内のチェチェン共和国出身だから、

今でもロシア代表ではあるが、ロシア連邦からの独立をめぐって

いまだ紛争の絶えないあのチェチェン、である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、ツリスチェワは20歳、ソ連女子体操のエースであったが、

そこに彗星のごとく現れたのが17歳のコルブト選手。

コルブトはそのテレビ映えする愛くるしさで、一躍人気者となり

ミュンヘンの恋人といわれた。

そして平均台、床で金メダルをとったが、

ツリスチェワは個人総合の金メダルはとったが、種目別では、銀、銅にとどまった。

こちらがコルブトちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、何で、オレはこの顔を覚えているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミュンヘン・オリンピックは1972年の開催で、

札幌オリンピックと同年、ワタシは札幌大会の時小6、

ミュンヘンは中1で、実は最も印象に残っているオリンピックである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水泳では、日本の田口信教選手が100m平泳ぎで金メダル、200mで銀、

青木まゆみ選手が100mバタフライで金メダル、

マーク・スピッツ選手が1人で7個の金メダルをとったのも印象深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんといっても松平監督率いる日本男子バレーが金メダル。

オリンピック前にテレビで「ミュンヘンへの道」という

日本バレーチームのドキュメンタリーアニメを放映し、

その期待通りに本番で初めての金メダル、

しかも決勝ブルガリア戦はセットカウント0-2からの大逆転勝利、というのは、

サッカー少年だったワタシですが、

数か月前札幌オリンピックでの70m級ジャンプで

笠谷、金野、青地が金、銀、銅を独占したことを凌ぐほどの感動を覚えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ナゼに女子体操か?

というと、考えるにこれはたぶんおそらくレオタードでしょう。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4年前のメキシコ大会の時は、まだ小学4年生のガキだったわけですが、

ミュンヘン・オリンピックは中学1年生、

急に色気づいて来た年ごろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女子体操選手のレオタード姿には、

4年前には感じなかった魅力を感じたはず・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、当時のオリンピックといえば国家間の対立を背景とした

政治的な影がつねにつきまとう。

ミュンヘン・オリンピックではパレスチナのテロ組織「黒い九月」が

選手村でイスラエルの選手11人が殺害されるという

オリンピック史上最悪の事件も起きている。

 

女子体操でいえば、その前のメキシコオリンピックで

チェコスロバキア代表のベラ・チャスラフスカが、

その直前に行われたソ連軍のプラハ侵攻に抗議の姿勢を示し、

西側諸国の賛同を得た事件があった。

ソ連代表の選手は図らずも、

悪役の役回りを演じさせられる羽目になった。

ワタシ的には当時オバサンぽかったチャスラフスカ選手よりも

ソ連のクチンスカヤ選手の方がタイプだったんですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そんな東西冷戦の時代、社会主義陣営のリーダーであるソビエト政府は、

ソ連代表選手にも国家の威光を示すように強く求めたはずであり、

ベラルーシ出身のツリシュチェワ選手などは、

かなりのプレッシャーと、

また、自身がチェチェン出身であることによる違和感を感じていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オルガ・コルブトは初めて現れたアクロバット系の選手で、

まったくの小児体形で、

軽さと機敏さを武器に次々と軽業のような演技を繰り出した。

それまでの女性らしさ、優美さで競ったチャスラフスカ時代の体操を

一変させたとも言える。

その意味で、ツリスチェワは

最後のクラシカル・スタイルの選手だったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そのミュンヘンの4年後のモントリオールオリンピックでは、

女子体操界には精密機械のような演技をする10点満点少女、

当時わずか14歳のナディア・コマネチの時代がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事を書くためにネットを検索していたら、思わぬニュースを発見。

その一つは、

当時コルブト選手はソ連代表の体操コーチから

性的虐待を受けていた、というもの。

そしてもう一つは、昨年のニュースで、61歳のオルガ・コルブトさんが、

金銭的に困窮していたため、

自身の金メダル、銀メダル、はてはレオタード(!)などを

オークションで売りさばいた、とのこと。

うわー、どちらも、悲しくなる事件です。

うーん、あのミュンヘンの恋人は幻想だったのか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういえば最近は男子体操は日本選手の活躍で時々見ますけど、

女子体操の方はさっぱり知らないですねー。

今はどこの国が強いんでしょうか?

 

 

 

 

 さて、最後にミュンヘン・オリンピックの記録映画

「時よとまれ、君は美しい~ミュンヘンの17日」から。

 

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